菟道貝蛸皇女 飯蛸の桜煮 845
先週、厩戸大王(皇子)の父母・妻子を紹介しました。
この情報は「聖徳太子伝暦」に依っています。
当然と云えば当然?、正史「日本書紀」には全く記述されていません。
それよりも、3名以外の奥様の存在が記載されているのです。
「五年(576年)春三月己卯朔戊子 有司請立皇后
詔立豊御食炊屋姫尊為皇后 是生二男五女
其一曰菟道貝鮹(=蛸)皇女〈更名菟道磯津貝皇女也〉
是嫁於東宮聖徳(⇒厩戸大王)」
(国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 敏達帝 P7 6行~)
*聖徳(しょうとく)
仏語。仏にそなわる勝れた徳。ひじりの徳。
*聖徳(せいとく)
聖人の、世のすみずみにまで及ぶすぐれた智徳。高徳。
また特に、天子の徳。
(日本国語大辞典 小学館)
この「東宮聖徳」は日本書紀に於いて厩戸大王(皇子)の初出に。
因みに「東宮(トウグウ・みこのみや)」も初見です。
敏達帝(538?~585在572~585)は576年、
「豊御食炊屋姫尊→後の推古帝(554~628)」を皇后とした。
彼女は「二男五女」をもうけ、
長女は「菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)」。
「菟道磯津貝皇女(うじのしつかいのひめみこ)」は
「東宮聖徳(=厩戸大王)」のお「嫁」さんに。
貝蛸皇女とは、いやはや、何とも、奇妙で艶っぽいお名前では?
*貝蛸・・・いいだこ(飯蛸)」の異名。
*飯蛸
マダコ科のタコ。北海道南部以南の日本沿岸に分布する。
腕の長さを加えて体長約二五センチメートル。
春、卵をもっているものを煮ると、
胴に飯粒が詰まっているようにみえるのでこの名がある。
肉、卵ともに美味で生食のほか、佃煮、干し蛸にする。
いしだこ。かいだこ。《季・春》(日本国語大辞典 小学館)
そろそろ、染井吉野桜の季節、「飯蛸の桜煮」が美味しい・・・・・。
それはさて置き、彼女の件は以後一切「日本書紀」は触れていません。
彼女と厩戸大王とにはお子さんができなかったのでしょう?
しかしながら、何故、彼女のみ登場しているのか疑問が解けません。
それから、彼女の名誉の為に。
「七年(578年)春三月戊辰朔壬申 以菟道皇女侍伊勢祠
即姧(=奸)池辺皇子 事顕而解」
(国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 敏達帝 P8 3行~)
「菟道皇女」は「伊勢祠(斎宮)」に就任するも
池辺皇子に「姧(かだ)」まされ解任される。
池辺皇子は後の厩戸大王(皇子)の父、「用明帝」。
五年(576年)、七年(578年)から菟道貝蛸皇女⇔菟道皇女は
論理的に同一人物にはなりません。 続く。

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