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2023年2月18日 (土)

熊本城跡出土鉄刀 甲子年604年 843

取り急ぎ、日本書紀への戯れ言はこれ位にして
厩戸大王(皇子)の御代に戻ります。
今年の1月に何と昨年4月に熊本城跡(千葉城地区)から出土した
「鉄刀」の調査・分析結果が熊本大・熊本市から発表され、
X線CT調査で「文字(甲子年五月中)」が発見されたとの事です。

「『甲子年』の銘文入り鉄刀 熊本で発見、604年製作か」(日経Web)
「古墳時代の鉄刀に象嵌の銘文~」(熊本日日新聞)

「鉄刀(片刃)」は
以前「獲加多支鹵大王→雄略帝 江田船山古墳」で紹介しました。
この時代は「治天下獲◯◯◯鹵大王(=雄略帝)」とされています。
雄略帝の在位期間は456年~479年(この間に「甲子年」は無し)。
これ以降の「甲子年」は484年・544年・604年・664年で、
熊本市熊本城調査研究センターは
「鉄刀の装飾などの特徴から604年に製作された可能性が高い」
と表明されています。
もし、604年の「甲子年」とすると、とても画期的です。
「歳次甲子正月戊申(戌)朔 始用暦日」をご確認下さい。
なな何と、この年、
「小治田朝(=豊御食炊屋姫→推古帝)十二年
 甲子年正月一日を以て暦を用い始めた」と。
(干支紀年法採用・表記の正式スタートとも云えます。
 又、各紀年法は「即位・元号・干支紀年法等」にてご確認下さい。)
因みに、今年は「癸卯(みずのと・う)」年で兎(うさぎ)年。
次の「甲子年」は21年後の2044年になります。
(詳しくは「旧暦・十干十二支・陰陽五行説」にて。)

偶然とは思えますが、この「熊本鉄刀文字発見」ニュースの3日前、
日本最大の「円墳」(奈良県奈良市富雄丸山古墳)から
国内最大の「盾形青銅鏡」と「蛇行剣」が発見されたとの報道も。
「国内最大の鏡と剣出土『金工の最高傑作』~」(日経Web)
この円墳は4世紀後半築造と推察されていますので
残念ながら「厩戸大王(皇子)」の「御陵」ではございません。 続く。

Ume77

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2023年2月11日 (土)

辛酉年春正月庚辰朔 神武帝即位 842

更なる戯れ言の続きでありんす。
因みに、古事記では「高天原」は一途最初に登場します。

「天地初発之時 於高天原成神名 天之御中主神
 (訓高下天 云阿麻 下效此)
 次高御産巣日神 次神産巣日神 此三柱神者 並独神成坐而
 隱身也」
国立国会図書館 電子図書館 古事記 上巻 P6 9行~)

又、今日は奇しくも「建国記念の日」です。
いにしえに神武帝が即位された「日」とされています。

「日本書紀 巻第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇」
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歳爲天皇元年」
(辛酉年春正月庚辰朔 ⇒ 神武帝元年正月一日 ⇒B.C.600/02/11)
こちらの諸事情は
「B.C.660年神武帝 橿原宮で即位」
「神武元年~推古八年=1260年」 でご確認下さい。

その神武帝が登場する日本書紀架空神代の記述、
天照大神~神武帝の系譜は下記になっています。

天照大神⇒天忍穂耳尊⇒瓊瓊杵尊(天孫降臨)⇒
彦火火出見尊(山幸彦)⇒鸕鶿草葺不合尊⇒彦火火出見尊(神武帝)

天照大神のお孫さんは「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」、
鸕野讃良皇女さんのお孫さんは「文武帝」。
持統帝のご子息「草壁皇子(662~689)」が「帝位」に
即くことなく亡くなった為、
何としてもお孫さんの「文武帝」を即位させたかったのです。
従って、神代の物語は天孫降臨(高天原から天降り)に。
女帝、天照大神の孫、「瓊瓊杵尊」に設定しなければ
「文武帝」との辻褄が合わなくなってしまうのです。

もう一カ所、作為的な記載が確認されます。
天照大神の五世孫は「神武帝」とされています。
「王朝交替説」の根拠とされている異常と思われる
日本書紀「倭国の帝位変遷」
「河内王朝」の最後、清寧帝→「播磨王朝」の顕宗帝、
顕宗帝は履中帝の孫と
「播磨王朝」の最後、武烈帝→「近江・越前王朝」の継体帝。
(継体帝は応神帝の5世孫と)
「日本書紀 継体帝 記述抜粋」
「釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細」
「応神帝5世孫・垂仁帝7世孫」 をご確認下さい。
天照大神の五世孫「神武帝」って
誉田別尊(応神帝)の五世孫は「継体帝」としたいが為の作り話・・・・・。
 続く。

Ume77

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2023年2月 4日 (土)

鸕野讃良皇女=高天原広野姫天皇 841

戯れ言の続きでありんす。
鸕野讃良皇女・藤原不比等さん、お二人はめでたく大願成就します。
鸕野讃良皇女さんのお孫さん
「文武帝(683~707在697~707)」は「天皇」になり、
彼の奥様には藤原不比等さんのお嬢さん「宮子」さんが。
鸕野讃良皇女さんのお曾孫さん
「聖武帝(701~756在724~749)」も「天皇」になり、
彼の奥様には藤原不比等さんのお嬢さん「光明子」さんが。
鸕野讃良皇女さんは「高天原広野姫天皇」と。

この「高天原(たかまのはら)」の名称は
日本書紀 巻第一神代上 巻第二神代下6カ所に記載されています。
(あと1カ所は巻第三十 高天原広野姫天皇表記箇所のみ)

「一書曰 天地初判 始有倶生之神 号国常立尊 次国狹槌尊 又曰
 高天原所生神名 曰天御中主尊 次高皇産霊尊 次神皇産霊尊」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代上 P3 16行~)
天(宇宙)神が存在する場所が「高天原」と。

「一書曰 伊弉諾 伊弉冉二神 坐于高天原曰 当有国耶」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代上 P8 3行~)

「勅任三子曰 天照大神者 可以治高天原也
 月読尊者 可以治滄海原潮之八百重也
 素戔嗚尊者 可以治天下也」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代上 P17 5行~)
天照大神→高天原 月読尊→滄(青)海原 素戔嗚尊→天下
を治める事。

「一書曰 伊弉諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以御高天之原也
 月夜見尊者 可以配日而知天事也
 素戔嗚尊者 可以御滄海之原也」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代上 P21 5行~)
こちらの一書(あるふみ)では
天照大神→高天之原 月夜見尊→日・天 素戔嗚尊→青海原に。

「於是 素戔嗚尊請曰 吾今奉教 将就根国
 故欲暫向高天原 与姉相見而 後永退矣」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代上 P22 12行~)
素戔嗚尊が高天原に住まう姉(=天照大神⇒女神)に逢い、
根国行きへのお別れのするシーン。

「又勅曰 以吾高天原所御斎庭之穗亦当御於吾兒」
高天原の神聖な稲穂を地上に降ろし我が子に与えなさいと。
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 神代下 P16 6行~)

以上、「高天原・高天之原」が出現しています。 続く。

Ume77

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