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2022年11月 5日 (土)

610年煬帝 京杭大運河完成 831

隋王朝が成し遂げた偉業の二番目は
黄河~淮水~長江を横切る「京杭大運河」の完成です。(610年)
これにより、「豊かな江南の産物」を短時間(以前に比して)で
「河北」地域、及び、「隋東都、洛陽」へ運搬が可能になりました。
「淮水~長江(587年完成)」を結ぶ運河は南朝「陳」へ急襲可能になり
「隋」は589年「陳」滅亡に追い込み大陸を久方ぶりに一元化国家に。
中国史上、「暴君?」と形容される、
隋王朝第二代皇帝「煬帝(569~618在604~618)」は運河工事を継続

「通済渠(ツウサイキョ)」(黄河~淮水)605年開通
「永済渠(エイサイキョ)」(黄河~天津)608年開通
「江南河(コウナンガ)」
(長江~杭州 現在の江蘇省鎮江市~浙江省杭州市)610年開通

を次々と開削、
総延長約2,500㎞以上に及ぶ「大運河」を作り上げたのです。
(南旺山〈山東省〉経由ルートの運河は時が下り、明、永楽帝時代。
 あくまでもこの時期は「洛陽」を起点とした大運河。)

「大業元年(605年)三月 略 発河南諸郡男女百余万 開通済渠
 自西苑引穀 洛水達于河 自板渚引河通于淮
 庚申 遣黄門侍郎王弘 上儀同於士澄往江南採木 造龍舟 略
 八月壬寅 上御龍舟 幸江都 略
 四年(608年)春正月乙巳 詔発河北諸郡男女百余万開永済渠
 引沁水南達于河 北通涿郡 略
 六年(610年)春正月 己丑 倭国遣使貢方物
 三月癸亥 幸江都宮 略
 (611年)二月己未 上升釣台 臨揚子津 大宴百僚 頒賜各有差
 庚申 百済遣使朝貢
 乙亥 上自江都御龍舟入通済渠 遂幸于涿郡」
*龍舟(リョウシュウ)・・・この時代の豪華クルーズ船
*江都・・・現在の江蘇省揚州市
*涿郡(タクグン)・・・現在の北京市
国立国会図書館 電子図書館 隋書 巻三・四 煬帝上・下 12行~)

この大運河の開通により江南地域で生産される穀物を洛陽に搬送
地下掘りした「穴倉庫」に貯蔵した為、都の食糧事情は良好に。
又、煬帝さんは「江都」へのクルーズがお好きだったらしく
「龍舟」で度々訪れています。(揚州は運河と長江の交差点)
(龍舟豪華室内は老酒と寵姫で溢れていたとか?)
但し、大運河建造工事に駆り出された「河南・河北男女百余万」の
皆さんは短期間での掘削工事ですので多大な労苦を味わう事に。
この顛末が「煬帝→暴君」とする一つの理由にされています。 続く。

Kiku5

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