徐福来倭?蓬莱山→浦嶋子伝説 827
会稽東冶県(現在の福建省福州市)の東の海に「夷洲島」、そこから
遙か絶遠に「亶洲(澶洲)島」があり、その島に「徐福(徐巿)」が上陸。
ここ迄が正史「史記→後漢書」によるストーリー展開。
その「後漢書」の約204年後、
今現在解き明かしている「隋書倭国伝」で倭国の所在地について
「古云去楽浪郡境及帯方郡並一万二千里 在会稽之東」と。
この叙述が通りなら倭国は会稽の東に在るのです。
福建省福州市の東の海には今とてもホットな「台湾」島が。
従って、華夷思想溢れる「夷洲島」は「台湾島」に・・・・・?
裴世清ら倭国派遣団員一行らが上陸した「秦王国」を
華夏人が住まう「夷洲島」と勘違い・いやそんな事は?の記述が
「又東至秦王国 其人同於華夏 以為夷洲 疑不能明」に。
その「夷洲島」から遠くに「亶洲(澶洲)島」があり「徐福(徐巿)」が。
どちら様かが無理矢理、「亶洲(澶洲)島」は倭国の何処かと脚色。
これがロマン溢れる?「徐福(徐巿)の来倭、蓬莱山伝説」の顛末。
とは云うものの、「隋書」から約84年後(「史記」からだと約811年後)
この「蓬莱山伝説」をどなたから伝え聞いた「日本書紀」編纂者は
雄略帝の巻に何とまあ挿入しているのです。
「(雄略)廿二年(478年)春正月己酉朔 以白髪皇子爲皇太子
秋七月 丹波國餘社郡管川人水江浦嶋子 乗舟而釣
遂得大亀 便化爲女 於是浦嶋子感以爲婦 相逐入海
到蓬莱山 歴覩仙衆 語在別巻」
(国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 雄略帝 P29の13行目)
*白髪皇子・・・後の清寧帝
なな、何と「(浦島太郎に比定された)浦嶋子」が「大亀」の化身女性と
一緒になり、お二人で「蓬莱山」に至り、神仙境を散策したと。
そして、時は流れ、紆余曲折を経て、「日本書紀」から1191年後の
1911年(明治44年)、「尋常小学唱歌(第二学年用) 浦島太郎」
♫昔々、浦島は 助けた亀に連れられて、
龍宮城に来てみれば、絵にもかけない美しさ。
乙姫様のご馳走に、鯛や比目魚の舞い踊り
ただ珍しくおもしろく、月日のたつも夢の中。
遊びの飽きて気がついて、お暇乞(いとまご)いもそこそこに
帰る途中の楽しみは、土産に貰った玉手箱。
帰ってみれば、こは如何に、元居た家も村もなく、
路に行きあふ人々は、顔を知らない者ばかり。
心細さに蓋とれば、あけて悔しき玉手箱、
中からぱっと白煙(しろけむり)、たちまち太郎はお爺さん。
となり、今現在迄、続いているのです。
蓬莱・神仙・不老不死等々幻想はこれ位に致します。 続く。

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