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2022年10月 1日 (土)

徐福(徐巿)蓬莱山伝説 続編正史 826

徐福(徐巿)の蓬莱山伝説のファンタジー物語は
「史記」の約173年後、班固により記述された次の正史「(前)漢書」に
登場しています。

「秦始皇初并天下 甘心於神僊之道 遣徐福
 韓終之属多齎童男童女入海求神采薬 因逃不還 天下怨恨」
国立国会図書館 漢書 卷二十五下 郊祀志 P56 9行)
「又使徐福入海求仙薬 多齎珍宝 童男女三千人 五種百工而行
 徐福得平原大沢 止王不来」
国立国会図書館 漢書 卷四十五 蒯伍江息夫傳 P12 3行)
*郊祀・・・古代、中国で、天子が郊外で天地をまつる大礼
(日本国語大辞典 小学館)
ここでは「史記」のフォローのみで新情報はありません。

そしてお次は、
「漢書」の約198年後、陳寿により記述された次の正史「三国志」にも
記載されています。
「(230年)黄龍二年 略 遣将軍衛温 諸葛直 将甲士万人
 浮海求夷洲及亶洲 亶洲在海中
 長老伝言
 秦始皇帝遣方士徐福将童男童女数千人入海 求蓬莱神仙及仙薬
 止此洲不還 世相承有数万家 其上人民 時有至会稽貨布
 会稽東県人海行 亦有遭風流移至亶洲者 所在絶遠 卒不可得至
 但得夷洲数千人還」
(国立国会図書館 三国志 巻四十七 呉書二 呉主伝 8行)
ここから「夷洲・亶(タン)洲」は「浮海」から「島」となります。
又、「亶洲」について長老が伝え聞く処に依ると
徐福が「亶洲」島に上陸して帰ってこなかった事。
更に亶洲人は時折「会稽東県」に買物に来ていた事。
会稽東県人も流れ流れて「亶洲」島に至った方もいる事。
島探索の将軍らは遙か絶遠にある「亶洲」島を発見できなかった事。
以上が新展開脚色となり、
史記から約371年後、徐福が留まった所は「亶洲」島に
されてしまったのです。

その「三国志」の約152年後、何と范曄による次の正史「後漢書」でも
触れています。
それも何と「後漢書 東夷列伝 倭」の最終叙述に存在しているのです。
「会稽海外有東鳀人 又有夷洲及澶洲
 伝言
 秦始皇遣方士徐福将童男女数千人入海 求蓬莱神仙不得
 徐福畏誅不敢還 遂止此洲 世世相承 有数万家 人民時至会稽市
 会稽東冶県人有入海行遭風 流移至澶洲者 所在絶遠 不可往来」
国立国会図書館 後漢書 巻八十五 東夷列伝 倭 1行)
(尚、時の流れは前漢⇒後漢⇒三国〈魏・蜀・呉〉ですが
 正史成立順は(前)漢書⇒三国志⇒後漢書になっています。)
こちらの記載内容は「史記」と「三国志」を踏襲しています。
異なる処は「亶洲」・「会稽東県」(三国志)が後漢書では
「澶洲」・「会稽東冶県」の二カ所です。 続く。

Kikyou

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