« 厩戸皇子 甲午年(574年)生誕 818 | トップページ | 593年4月弱冠二十歳 厩戸大王 820 »

2022年7月30日 (土)

豊聡耳法大王は確固たる倭王 819

厩戸皇子→豊聡耳法大王は確固たる「倭王」との最大の根拠は
「倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥」
この隋書倭国伝の記載になります。
記述もさることながら、
後に触れますが第二回遣隋使、小野妹子、及び、
来倭した裴世清もこの事実を全く否定していないのです。
であるからして、
日本書紀の「(593年)立厩戸豊聡耳皇子為皇太子」
(厩戸皇子を《皇太子》となした)は執筆時の創作になります。
又、《皇太子》の称号は、かの時代に存在していません。
然らば、厩戸皇子を
今後、倭国のお隣、隋王朝時代の倭王「厩戸大王」とします。
であるなら、日本書紀が云うところの
「額田部皇女」→後に淡海三船により「推古天皇」と諡号された
「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」は一体どうするの。
*淡海三船(養老六~延暦四年 722~785)
奈良前期の漢詩人、漢学者。弘文天皇の曾孫。大学頭、文章博士、
刑部卿。著「唐大和上東征伝」。「懐風藻」の撰者ともいわれる。
*弘文天皇(大化四~弘文元年 648~672)
第三九代天皇。天智天皇の第一皇子。伊賀皇子、大友皇子とも。
太政大臣を経て671年即位。在位8か月。皇居は近江滋賀の大津宮。
弘文元年(672)壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)と争って敗れ、
自害した。「懐風藻」にその伝記と漢詩二首が収められる。
明治三年(1870)、正式に天皇の列に加えられ、弘文天皇の諡号
がおくられた。
*懐風藻
奈良時代の漢詩集。一巻。編者は 淡海三船 石上宅嗣 葛井広成
など諸説あるが未詳。天平勝宝三年(751)成立。近江朝以後
約八〇年間の漢詩約一二〇首を作者別、年代順に配列したもの。
六四人の作者のうち大部分は中・下級貴族だが、
文武天皇 大友皇子 川島皇子 大津皇子 藤原宇合などが代表的。
先行中国漢詩文の影響が濃いが、日本最古の詩集として貴重。
(日本国語大辞典 小学館)
エンドレエスになりそうなのでここ迄にします。
因みに厩戸大王の別称「聖徳太子」は今現在、懐風藻の序が初出に。
国立国会図書館 電子図書館 懐風藻序 3行目最下)
そして、「額田部皇女→豊御食炊屋姫(554~628)」の存在。
彼女の父 欽明帝(509?~571 父継体帝)母は堅塩媛(父蘇我稲目)
彼女の夫 敏達帝(538?~585? 父欽明帝 母宣化帝皇女石姫)
彼女の兄 用明帝(?~587 父欽明帝 母堅塩媛)
彼女の妹 穴穂部間人皇女(父欽明帝 母小姉君〈父稲目〉夫用明帝)
彼女の弟 崇峻帝(553?~592 父欽明帝 母小姉君)
彼女の甥 厩戸大王(574~622 父用明帝 母穴穂部間人皇女)

代 帝名   在位期間          在位年 古事記崩御年
26 継体帝 507年01年~531年02月 25年 527年
27 安閑帝 531年02月~535年12月 04年 535年
28 宣化帝 535年12月~539年02月 04年
29 欽明帝 539年12月~571年04月 32年
30 敏達帝 572年04月~585年08月 14年 584年
31 用明帝 585年09月~587年04月 02年 587年
32 崇峻帝 587年08月~592年11月 05年 592年
33 炊屋姫 592年12月~628年03月 36年 628年
宮内庁日本書紀から 炊屋姫=推古帝 帝崩御年=在位年末)

凄い人間模様でございません事? 続く。

Asagao

|

« 厩戸皇子 甲午年(574年)生誕 818 | トップページ | 593年4月弱冠二十歳 厩戸大王 820 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 厩戸皇子 甲午年(574年)生誕 818 | トップページ | 593年4月弱冠二十歳 厩戸大王 820 »