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2022年7月30日 (土)

豊聡耳法大王は確固たる倭王 819

厩戸皇子→豊聡耳法大王は確固たる「倭王」との最大の根拠は
「倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥」
この隋書倭国伝の記載になります。
記述もさることながら、
後に触れますが第二回遣隋使、小野妹子、及び、
来倭した裴世清もこの事実を全く否定していないのです。
であるからして、
日本書紀の「(593年)立厩戸豊聡耳皇子為皇太子」
(厩戸皇子を《皇太子》となした)は執筆時の創作になります。
又、《皇太子》の称号は、かの時代に存在していません。
然らば、厩戸皇子を
今後、倭国のお隣、隋王朝時代の倭王「厩戸大王」とします。
であるなら、日本書紀が云うところの
「額田部皇女」→後に淡海三船により「推古天皇」と諡号された
「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」は一体どうするの。
*淡海三船(養老六~延暦四年 722~785)
奈良前期の漢詩人、漢学者。弘文天皇の曾孫。大学頭、文章博士、
刑部卿。著「唐大和上東征伝」。「懐風藻」の撰者ともいわれる。
*弘文天皇(大化四~弘文元年 648~672)
第三九代天皇。天智天皇の第一皇子。伊賀皇子、大友皇子とも。
太政大臣を経て671年即位。在位8か月。皇居は近江滋賀の大津宮。
弘文元年(672)壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)と争って敗れ、
自害した。「懐風藻」にその伝記と漢詩二首が収められる。
明治三年(1870)、正式に天皇の列に加えられ、弘文天皇の諡号
がおくられた。
*懐風藻
奈良時代の漢詩集。一巻。編者は 淡海三船 石上宅嗣 葛井広成
など諸説あるが未詳。天平勝宝三年(751)成立。近江朝以後
約八〇年間の漢詩約一二〇首を作者別、年代順に配列したもの。
六四人の作者のうち大部分は中・下級貴族だが、
文武天皇 大友皇子 川島皇子 大津皇子 藤原宇合などが代表的。
先行中国漢詩文の影響が濃いが、日本最古の詩集として貴重。
(日本国語大辞典 小学館)
エンドレエスになりそうなのでここ迄にします。
因みに厩戸大王の別称「聖徳太子」は今現在、懐風藻の序が初出に。
国立国会図書館 電子図書館 懐風藻序 3行目最下)
そして、「額田部皇女→豊御食炊屋姫(554~628)」の存在。
彼女の父 欽明帝(509?~571 父継体帝)母は堅塩媛(父蘇我稲目)
彼女の夫 敏達帝(538?~585? 父欽明帝 母宣化帝皇女石姫)
彼女の兄 用明帝(?~587 父欽明帝 母堅塩媛)
彼女の妹 穴穂部間人皇女(父欽明帝 母小姉君〈父稲目〉夫用明帝)
彼女の弟 崇峻帝(553?~592 父欽明帝 母小姉君)
彼女の甥 厩戸大王(574~622 父用明帝 母穴穂部間人皇女)

代 帝名   在位期間          在位年 古事記崩御年
26 継体帝 507年01年~531年02月 25年 527年
27 安閑帝 531年02月~535年12月 04年 535年
28 宣化帝 535年12月~539年02月 04年
29 欽明帝 539年12月~571年04月 32年
30 敏達帝 572年04月~585年08月 14年 584年
31 用明帝 585年09月~587年04月 02年 587年
32 崇峻帝 587年08月~592年11月 05年 592年
33 炊屋姫 592年12月~628年03月 36年 628年
宮内庁日本書紀から 炊屋姫=推古帝 帝崩御年=在位年末)

凄い人間模様でございません事? 続く。

Asagao

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2022年7月23日 (土)

厩戸皇子 甲午年(574年)生誕 818

上宮聖徳法王帝説を紐解くと

「上宮聖徳法王 又云 法主王 用命天皇紀同
 甲午年産 敏達天皇三年 壬午年二月廿二日薨逝也」
国立国会図書館 電子図書館 上宮聖徳法王帝説 P20 5行)

甲午年=敏達帝三年 → 574年産
壬午年二月廿二日 → 622年2月22日薨逝
*薨逝(コウセイ)・・・皇族又は三位以上の人が死去する事。薨去。
厩戸皇子は574年生まれだったのです。
只、又困った事が発生するのです。
厩戸皇子の薨去年ですが
日本書紀→621年2/05
上宮聖徳法王帝説→622年2/22 と程1年の違いが生じています。
従って、「厩戸皇子没後1400年」行事も
日本書紀派→法隆寺 奈良県斑鳩町
上宮聖徳法王帝説派→四天王寺 大阪府太子町 大阪府柏原市
大和斑鳩は621年、摂津難波は622年説を仲良く採用?しています。
没年一年違いだから、「まあ良いか」?って事にして前に進みます。
(但し、学者先生方々には更なる研究をお願い致します。)
厩戸皇子 甲午年(574年)生誕を前提とすると
「隋書 倭国伝」の開皇二十年(600年)第一回遣隋使派遣、
この時、彼は27歳になっています。
そして、
「倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥」から
倭王→阿輩鶏弥=大王→厩戸皇子になるのです。
隋朝の官吏は「倭王=厩戸皇子」と認識していたのです。
はるばる隋に渡った倭遣使は倭王を日本書紀に記述されている
額田部皇女(ぬかたふぇのひめみこ→推古帝)と伝えず
「阿毎多利思比孤 阿輩鶏弥」と告げ・知らせていたのです。
これって特に問題ありません。
日本書紀、推古帝に依ると
「(593年)夏四月庚午朔己卯
 立厩戸豊聡耳皇子為《皇太子》 仍録揶政 以万機悉委焉」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 推古帝 P3 6行)
593年4/10額田部皇女は厩戸皇子に「政(まつりこと)」を全て委ねた。
従って、厩戸皇子は対外的に押しも押されもせぬ「倭王」なのです。
額田部皇女(554~628) 厩戸皇子(574~622)から
この年、お二方の御歳は額田部皇女40歳、厩戸皇子20歳に。
因みに、この時の後援者、蘇我馬子(550 or 551~626)は44 or 43歳。
厩戸皇子→豊聡耳法大王は確固たる「倭王」。 続く。

Asagao

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2022年7月16日 (土)

厩戸皇子→豊聡耳法大王・法王大王 817

厩戸皇子の伊予(=道後)温泉にて。
こちらの情報は「伊予国風土記」に記載されていたのです。
但し、この風土記は現存しません。
しかし、「釈日本紀」に風土記の逸文があるのです。

「以上宮聖徳皇爲一度 中略
 法興六年十月 歳在丙辰(596年) 我法王大王
 與恵總法師及葛城臣 逍遥夷與村 正觀神井 歎世妙驗 欲叙意
 聊作碑文一首」(總→総)
国立国会図書館 電子図書館 釈日本紀 第廿三 幸于伊豫温湯宮
「釈日本紀」には以前「一云に応神帝5世孫詳細」で
お世話になりました。

ここで厩戸皇子は「上宮聖徳皇」→「法王大王」と。
風土記は元明女帝の詔により各諸国が編纂、朝廷に提出した書物。
*風土記
古代官撰地方誌。和銅六年(713年)律令国家の命により各国の地
名整理・物産品目・土地の肥沃状態・地名の由来・旧聞伝承について
各国庁が報告した公文書(解〈げ〉)。漢文体・変体漢文体など国に
より文体は異なる。現存するのは完本である出雲国と、省略欠損
のある常陸・播磨・豊後・肥前国の五か国。逸文が「釈日本紀」「万
葉集註釈」などに三十数か国分収められている。各国の官命解釈
により内容記載に特色が出ている。和銅の正本は多く散失したら
しく、延長三年((九二五))再び太政官符によって再提出が命じら
れている。後世のものと区別して「古風土記」ともいう。古代の
地理・文化などが知られるとともに、「古事記」「日本書紀」に組
み込まれない地方独自の神話・伝説・歌謡などを知る上でも貴重。
(日本国語大辞典 小学館)
日本書紀(用明帝)で紹介しました厩戸皇子・(豊)耳聡聖徳・
豊聡耳法大王・法主王とも異なる表記になっています。

従って「大王」は
江田船・稲荷山出土鉄剣から「時の倭国リーダー」になり。
日本書紀(欽明・用明帝を除く)から前帝崩御後の次倭国リーダーに
なるのです。
そして、困ってしまうのですが、
日本書紀、用明帝の「大王」と伊予温泉の「大王」の扱い。
記述から豊聡耳法大王、及び法王大王は厩戸皇子になります。
今現在でも崇拝対象の厩戸皇子です。
でも、なぜか日本書紀(推古帝)に
薨去年は「廿九年春二月己丑朔癸巳(621年2/5)」とありますが
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 推古帝 12行)
生誕年が記述されていないのです。
と云うことは
日本書紀編纂時代、厩戸皇子は今ほど評価されていなかった?
但し、何と、厩戸皇子の生誕年は「上宮聖徳法王帝説」に。
*上宮聖徳法王帝説
(「上宮聖徳法王」は聖徳太子の古い尊称。「帝説」は未詳。)
聖徳太子関係の伝記資料の集成。一巻。編者不明。
奈良初期に成った部分もあるというが、
現存本の形態は延喜一七~永承五年(917~1050)頃の成立とされる。
太子の系譜、事績その他の記録・文書を収め、記紀の所伝と異な
るものが含まれるなど、古代史の史料として貴重。法隆寺の薬師
仏および釈迦仏の銘文、天寿国繍帳の銘文なども引証される。
(日本国語大辞典 小学館) 続く。

Asagao

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2022年7月 9日 (土)

獲加多支鹵大王→雄略帝 816

先週の日本書紀「大王(おほきみ)」から
「大王」表記の出現は仁徳帝が最初になります。
又、仁徳・允恭・雄略・顕宗・継体帝は
前帝崩御に伴い、後の帝即位への進言・要望・要請・懇願になります。
欽明帝のみ全て百済聖明王への返答になっています。
そして、
用明帝に出現する「(豊聡耳法)大王」は
「厩戸皇子」の別名として表記されています。
日本書紀の完成は720年です。
これ以前の時代に「大王」と刻印された鉄刀・剣が存在しています。

1江田船山古墳出土「治天下獲◯◯◯鹵大王」
2稲荷山古墳出土 「獲加多支鹵大王」
*江田船山古墳(熊本県玉名郡和光町)1873年発見
 鉄刀(e国宝 江田船山古墳出土品
*稲荷山古墳(埼玉県行田市)1968年発見
 鉄剣(埼玉県立さきたま史跡の博物館

稲荷山古墳鉄剣の最初の書き出しは「辛亥年七月中記」とあります。
辛亥年を当たってみると351・411・471・531・591年、
「獲加多支鹵大王」(→ワカタケルオホキミ)について
《大長谷》若建命(わかたけるのみこと)(古事記表記)
《大泊瀬》幼武天皇(わかたけるのすめらみこと)(日本書紀表記)
代 帝名   在位期間    在位年 崩御年   古事記崩御年
21 雄略帝 456年~479年 23年  479年   489年 己巳
宮内庁 天皇系図 日本書紀)から
辛亥年→471年 「獲加多支鹵大王」→雄略帝とされています。
九州・北関東の首長らは
倭国のリーダーを「大王」と尊称していた事実が確認されます。
(只、剣に干支紀年法・漢字で刻印されたお方は一体どちら様?
 かの時代倭国に暦年、及び、文字は無かった筈。
 これらの知識をお持ちで来倭されてた方々に間違いは無い・・・・・。)
「(豊聡耳法)大王=厩戸皇子」だけでは心許ないのでもう一つ。
開皇二十年(600年)第一回遣隋使以前の596年に
厩戸皇子は道後温泉にお出かけになってます。(釈日本紀)
*道後温泉
愛媛県松山市にある温泉。泉質は単純泉
上代から伊予温湯、熟田津(にきたつ)石湯の名で知られている。
(日本国語大辞典 小学館) 続く。

Asagao

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2022年7月 2日 (土)

日本書紀の「大王(おほきみ)」表記 815

日本史で超メジャーな「607年遣隋使の派遣」の前に
「600年阿毎多利思比孤が遣隋使」で詮索しませんでした
「倭王姓阿毎 字多利思比孤 号阿輩鶏弥」について吟味してみます。

「倭王」・・・倭国のリーダー⇒大王(ふぉきみ→をほきみ→おほきみ)
日本書紀の「大王=太王」表記出現は以下になります。

仁徳帝 「大王者風姿岐嶷」(大王は立派な容姿)
   菟道稚郎子が前帝崩御に伴い後の仁徳帝へ進言
*菟道稚郎子(うじのわきいらっこ)
応神天皇の皇子。「日本書紀」では、応神天皇40年に太子に立てら
れたが、天皇の死後、兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)(仁徳天皇)
に皇位を譲るため、自殺したとされる。
 
允恭帝 「今太王留時逆衆」「願大王雖勞」「大王奉皇祖宗廟最宜稱」
      「願大王聽之」
  群卿が前帝崩御に伴い後の允恭帝へ即位要望
      「大王辞而不即位」「大王從群望」
  忍坂大中姫(允恭帝の奥様)命が後の允恭帝へ即位要請

雄略帝 「伏願大王奉獻臣女韓媛」(大王に私の娘韓媛を・・・)
  円大臣が前帝崩御に伴う諍いで後の雄略帝へ懇願
*円大臣(つぶらのおほおみ)
(葛城)円大臣は眉輪王らを匿った事で雄略帝により抹殺される。
後に雄略帝はちゃっかり彼の娘韓媛を娶り、清寧帝をこの世に。
*眉輪王(450~456)
仁徳帝がお爺ちゃん、父誅殺の恨みから安東帝を刺殺。

顕宗帝 「惟大王首建利遁」 「大王以社稷爲計」
  前帝崩御に伴い、後の仁賢帝が後の顕宗帝へ要請

継体帝 「大王有其天下」
  大伴大連達が前帝崩御に伴い後の継体帝へ要望
*大伴(金村)大連
大伴金村大連は応神帝5世孫、男大迹王を継体帝にした立役者。

欽明帝 「大王之意」「大王爲建任那」「唯在大王」「大王所述三策」
  任那旱岐等が百済聖明王へ返答 この大王=百済聖明王
*旱岐(カンキ)・・・任那諸国を治めた君主称号
*聖明王
百済第26代の王(在位〈523~554〉)。
中国の梁に朝貢して文物の輸入に努め、仏教を尊び、日本とも
親交を結び、釈迦仏像や経典を最初に日本に伝えたといわれる。
晩年には新羅と戦って敗死した。(日本国語大辞典 小学館)

用明帝 
「元年(586年)春正月壬子朔 立穴穗部間人皇女爲皇后 是生四男
 其一曰厩戸皇子
 更名 耳聡聖徳 或名 豊聡耳法大王 或云 法主王」
厩戸(うまやと)皇子
耳聡聖徳(みみとのしょうとく)
豊聡耳法(とよとみみののりの)大王(をほきみ)
法主(のりのうしの)王(おほきみ)

又、大王表記ではありませんが
推古帝
「大臣上壽 歌曰(蘇我馬子がお祝いの歌を奉った)
 夜須彌志斯 和餓 於朋耆彌 能 訶句理摩須
 (やすみしし わか おほきみ の かくります) 後略」
大王が「万葉仮名」で「於朋耆彌(おほきみ)」と。 

上記の各々は下記でご確認ください。
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 仁徳帝 2行
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 允恭帝 12行~
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 雄略帝 5行
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 顕宗帝 12行~
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 継体帝 12行
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 欽明帝 5行~
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 用明帝 7行
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 推古帝 14行    続く。

Asagao

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