多利思比孤の倭国情報 813
「有軍尼一百二十人 猶中国牧宰 八十戸置一伊尼翼 如今里長也
十伊尼翼属一軍尼
其服飾 男子衣裙襦 其袖微小 履如履形
漆其上 繫之於脚 人庶多跣足 不得用金銀為飾 故時衣橫幅
結束相連而無縫 頭亦無冠 但垂髪於両耳上 至隋 其王始制冠
以錦綵為之 以金銀鏤花為飾
婦人束髪於後 亦衣裙襦 裳皆有襈
攕竹為梳
編草為薦 雑皮為表 縁以文皮
有弓矢刀矟弩䂎斧
漆皮為甲 骨為矢鏑 雖有兵 無征戦
其王朝会 必陳設儀仗 奏其国楽 戸可十万」
☆軍尼(クニ)⇒国造 ☆伊尼翼(→冀)(イナキ)⇒稲置?。
*国造
大化前代の地方官。在地の豪族のうち有力者を任命。
「くに」の首長。「くに」の政(まつりごと)を行なう。
遅くとも七世紀前半までには、全国的に設置されたと推定される。
*稲置
大化前代の地方官の一つ。職掌については、県や屯倉の経営を
担当したとする説と、国の下級組織の長官とする説がある。
(日本国語大辞典 小学館)
倭国は120国造を有し、その国政区割り
80戸→1稲置 10稲置→1国造とか。都以外に9,600戸があった?
ちょいと少な過ぎないのでは?
ちゃんと倭のお役人さんからお聞き逃しは無かった?
服飾等
男性→裙と襦(袖は微小と云われても?)
婦人→裙と襦・裳(襞飾りあり)
何れにせよ、「デザイン画」が無いので衣装は全く不明。
まあ当然かしらん?
注目は「至隋 其王始制冠」でそれ迄倭人は冠(かがふり・こうぶり)を
被る文化がなく、中国の隋朝になって「冠位制度」を初めて、
「倭王 姓は阿毎 字は多利思比孤」が導入したと。
女性の髪型は「束髪」(髪を後ろで束ねる、下げ髪)。
竹製の櫛で調髪。
褥(しとね 敷き布団)は
草を編んで「薦(こも)=筵(むしろ)」を雑皮で包み縁取り仕上げに。
(この草、イ草なら畳になりますが?)
武具等
弓・矢・刀・矟(ほこ)・弩・䂎(両刃ほこ)・斧。
甲(かぶと=兜)は漆を塗った皮、矢先は骨製の鏑矢。
兵(武器)を有するも侵略戦争はせず。(現在の自衛隊みたい)
倭王の多利思比孤は「朝会(臣下が朝廷に参会する儀式)」では必ず
「儀仗(儀礼用の武具・武器)」を陳列、「(音)楽」を奏でるとか。
又、この都の戸数は10万。因みに卑弥呼の邪馬壹国は7万でした。
続く。
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