日本書紀 継体帝 時系列 807
以下、日本書紀に記載されている年月日順です。
507年01/24 男大迹王が樟葉宮(くすはのみや)に
*樟葉宮・・・現在の大阪府枚方市《河内》
507年02/04 男大迹王が大伴金村大連らに推され即位、継体帝誕生
507年03/05 手白香皇女を正妻(「皇后」)に
*手白香皇女
父は仁賢帝 母は春日大娘皇女(雄略帝のお嬢さん)
継体帝 即位の際に「皇女」と夫婦に。初めて入り婿的即位
507年03/14 八人もの「妃」を後宮に
(日付も記入されているのです。)
509年02月 百済へ遣使
511年10月 山背筒城へ遷都《山背=山城》
*筒城宮・・・現在の京都府京田辺市
512年04/06 百済へ遣使
512年12月 百済使者が来倭
513年06月 百済の五経博士 段楊爾が来倭
*五経博士
五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)の文義に精通している学者。
513年08/26 在倭の百済太子の淳陀(武寧王の息子)が死去
516年09月 百済の五経博士 段楊爾から漢高安茂に交代
519年03/09 弟國へ遷都《山背=山城》
*弟國宮・・・現在の京都府長岡京市
523年05月 百済王の武寧が死去
524年01月 百済太子の明(聖明王)が即位
526年09/13 磐余玉穂(いはれのたまほ)へ遷都《大和》
*磐余玉穂宮・・・現在の奈良県桜井市 (ある書では513年と)
527年08/01 物部麁鹿火大連に筑紫磐井の追討命令
528年11/11 大将軍物部麁鹿火が賊師磐井と筑紫御井郡で交戦勝利
*御井郡(=三井郡)・・・現在の福岡県久留米市
528年12月 磐井の息子筑紫君葛子が糟屋屯倉を献上、連座死罪回避
*糟屋・・・現在の福岡県糟屋郡
(以後、韓半島の各国、百済・加羅・任那・新羅の件は端折ります。)
531年02/07 継体帝、磐余玉穂宮で崩御、御年82歳
(国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 継体帝 P8~P27)
因みに、「507年01/12 男大迹王が樟葉宮に」の年月日について。
日本書紀表記にて
「(武烈帝)八年(=506年)冬十二月己亥 小泊瀬天皇崩 中略
元年春正月辛酉朔甲子 大伴金村大連 更籌議曰 中略
甲申 天皇行至樟葉宮 中略 是年也 太歲丁亥」
元年 是年也 太歲(=干支・太歳紀年)丁亥→507年
春正月辛酉朔 甲子は1月1日(朔日)が「辛酉」、
辛酉(1)→壬戌(2)→癸亥(3)→甲子(4)で一月四日に。
順繰りで 一 甲申(24)で一月二四日に。
(尚、六十干支の順番は「国立天文台 六十干支」で)
但し、今迄の年月日は全く当てにならない事態に・・・・・。 続く。

| 固定リンク
コメント