« 古事記 継体帝 記述抜粋 803 | トップページ | 釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細 805 »

2022年4月16日 (土)

日本書紀 継体帝 記述抜粋 804

次に日本書紀の「継体帝」記述を。

「男大迹天皇更名彦太尊 譽田天皇五世孫 彦主人王之子也
 母曰振媛 振媛活目天皇七世之孫也
 天皇父聞振媛顏容妹妙甚有媺色 自近江國髙嶋郡三尾之別業
 遣使聘于三國坂中井 中此云那 納以爲妃 遂産天皇
 天皇幼年 父王薨  中略
 天皇年五十七歲 (武烈)八年冬十二月己亥 小泊瀬天皇崩
 元無男女 可絶繼嗣」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 継体帝 P8の11行目)
*彦太尊(ひこふとのみこと)・・・男大迹天皇の別名
*譽田天皇=応神帝
*彦主人王(ひこあるしのきみ)・・・継体帝の父
*振媛(ふるひめ)・・・継体帝の母
*活目天皇(いくめのすめらみこと)=垂仁帝
*小泊瀬天皇=武烈帝
垂仁・応神・継体帝の順列は
「神武元年~推古八年=1260年」でご確認ください。

古事記の継体帝についての情報は「応神帝5世孫」のみ。
一方、日本書紀は「父母名、及び、母の振媛が垂仁帝7世孫」と。
それに続いて、継体帝の父と母との馴れ初め、今日日は「婚活」。
継体帝の父は素敵(媺色)な奥様をゲットできた感じ?
但し、彼は後の継体帝が幼い時になくなられたとの事。
又、古事記との大きな相違点は継体帝のお歳。
古事記では御年、43歳で崩御、
日本書紀では武烈帝崩御年(506年12月)の時点で57歳と
記載されているのです。これ又違いすぎでは??? 続く。

Ayame

|

« 古事記 継体帝 記述抜粋 803 | トップページ | 釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細 805 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 古事記 継体帝 記述抜粋 803 | トップページ | 釈日本紀一云に応神帝5世孫詳細 805 »