日本書紀・古事記の崩御年違い 802
先週、飯豊皇女の件で日本書紀の不甲斐ないお話をしました。
ここで日本書紀が展開する雄略帝~推古帝の在位期間など。
代 帝名 在位期間 在位年 古事記崩御年
21 雄略帝 456年11月~479年08月 23年 489年
22 清寧帝 480年01月~484年01月 05年
23 顕宗帝 485年01月~487年04月 03年
24 仁賢帝 488年01月~498年08月 11年
25 武烈帝 498年12月~506年12月 08年
26 継体帝 507年02月~531年02月 25年 527年
27 安閑帝 531年02月~535年12月 04年 535年
28 宣化帝 535年12月~539年02月 04年
29 欽明帝 539年12月~571年04月 32年
30 敏達帝 572年04月~585年08月 14年 584年
31 用明帝 585年09月~587年04月 02年 587年
32 崇峻帝 587年08月~592年11月 05年 592年
33 推古帝 592年12月~628年03月 36年 628年
(応神帝~雄略帝は「倭の五王」でご確認を
又、古事記崩御年の空白は古事記に記載されていないのです。)
すぐお気づきになると思いますが、「雄略帝」の崩御年の違い。
日本書紀では479年、古事記では489年で10年の差があるのです。
これって酷(ひど)過ぎません。
「継体帝」は4年、「安閑帝」は一致、「敏達帝」は1年、
そして、やっと、「用明・崇峻・推古帝」で全て一致する事になるのです。
又、継体帝は534年崩御とも記述されていますのでこちらなら7年差。
この件に関しましては再度確認してみます。
一方、飯豊皇女さん、日本書紀を信じれば
中皇命(なかつすめらみこと)=中継ぎ女帝になられたのは
清寧帝と顕宗帝との間484年2月~11月になりますが・・・・・。 続く。

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