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2022年2月12日 (土)

山田史御方 日本書紀57%を執筆 795

先週紹介しました《日本書紀 各巻 執筆者、及び、採用暦》、
唐からの渡来人「音博士」お二人以外の執筆者は
山田史御方・紀朝臣清人・三宅臣藤麻呂の三名。
後ろの紀清人・三宅藤麻呂は和銅七年714年に撰述勅諭されています。
山田史御方は692年に「務広肆」を頂いています。
*務広肆・・・冠位四十八階の32番目の位階 従七位下に相当
 服色は「浅緑」《「浅緑」の色合いは「日本の色(伝統色)見本」で》

「(持統帝六年692年)冬十月壬戌朔壬申 授山田史御形務廣肆
 前爲沙門學問新羅」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 持統帝 P25の8行目)
彼は「沙門=僧侶」として「新羅」に留学、帰国後還俗し文書官僚に。
「森博達」さんに依りますと
彼の文章は
「基本的に『倭音と和化漢文』で述作 中略
 仏教漢文に馴染んでいた。」(「日本書紀の謎を解く」P227)と。
彼は巻第一~十三・巻第二二~二三・巻第二八~二九の17巻を執筆
日本書紀(総数1,306p)の内、746p(約57%)も記述しています。
記述文は文語漢文ではありませんが
お一人でこの分量ですから凄いと思いませんか。
又、同じ年に「音博士」のお二人は三回目のご褒美を頂いています。
「(六年)十二月辛酉朔甲戌 賜音博士續守言 薩弘恪水田人四町」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 持統帝 P25の14行目)
更に、山田史御形(三方)は「続日本紀」に依ると
慶雲四年707年4月 正六位下 賞賜(p54 1行)
和銅三年710年1月 従五位下 4月周防守就任(p77 11行・p78 11行)
養老四年720年1月 従五位上 (p146 5行)
養老五年721年1月 賞賜(p155 1・13行)
と素晴らしい出世を遂げています。
「日本書紀」撰上の記述は養老四年720年5月(p149 6行)に
「先是一品舎人親王奉勅修日本紀
 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷」と。 尚、「日本紀」と表記。
(各々、国立国会図書館 電子図書館 続日本紀 にてご確認を)
*続日本紀
平安初期の官撰国史。いわゆる六国史の第二番目で「日本書紀」
につぐ。四〇巻。光仁天皇の命によって石川名足・淡海三船らが
撰修をはじめ、藤原継縄・菅野真道らに撰進事業が継承されて、
延暦十六年(797年)奏上された。
文武元年~延暦十年(697~791年)の95年間に渡る編年体の記録。
*舎人親王
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の女新田部皇女。
養老二年(718)一品に昇り、同三年(719)元正天皇の詔によって、
皇太子の補佐役となる。同四年(720)、先に勅命を受けて太安万侶
らとともに編修した「日本書紀」を完成させて奏上。同年知太政
官事となって政務を総覧した。天武天皇五~天平七年(676~735)
(日本国語大辞典 小学館) 続く。

Ume

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