日本書紀神代→安康帝 698年~執筆 796
今週は「日本書紀」の暦についてです。
《日本書紀 各巻 執筆者、及び、採用暦》にて
各巻の採用暦が下記のようにお示ししました。
「儀鳳暦平朔」 ⇒ 巻第◯一 神代上~巻第十三 允恭・安康帝
「元嘉暦平朔」 ⇒ 巻第十四 雄略帝~巻第二九 天武帝
「元嘉暦平朔・儀鳳暦定朔」 ⇒ 巻第三十 持統帝
上記の二つの「暦」は中国暦で「暦法」が異なります。
「中国暦」につきましては「国立天文台の暦Wiki」にて
詳しく説明されていますので一度ご確認下さい。
元嘉暦
南朝宋 「何承天(370~447)」の暦法 445~509年使用
1太陽年=365.24671日 1朔望月=29.530585日
麟徳暦(≒儀鳳暦)
唐「李淳風(602~670)」の暦法 665~728年使用
1太陽年=365.24478日 1朔望月=29.530597日
因みに干支紀年法で紹介した「後漢四分暦」は
1太陽年=365.25日 1朔望月=29.530851日 と計算していました。
又、現在はおおよそ
1太陽年=365.242189日 1朔望月=29.530589日(平均)に。
そこで日本書紀の採用暦に戻りますと
巻第十四 雄略帝~が古い暦法(元嘉暦)が使用・著述され、
巻第◯一 神代上~は新しい暦法(儀鳳暦)が適用・記述され、
時系列が真逆になってのいるです。
この事実を明確にされた方が小川清彦(1882~1950)さん。
*小川清彦・・・ 天文・暦学者 東京天文台に勤務
「日本書紀の暦日に就て」(1946年)を著し暦法から日本書紀を考察
(日本書紀の暦日の正体 p18「月朔及閏月異同対照表」 小川清彦)
我が国の「始用暦日」は604年。
日本書紀で暦法名が表記された箇所は持統帝四年(690年11月)
「(四年)十一月甲戌朔庚辰 賞賜送使金高訓等各有差
甲申 奉勅始行 元嘉暦 與 儀鳳暦」
(国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 持統帝 P17の14行目)
元嘉暦と儀鳳暦の両方を使用し始めたと。
(月朔→元嘉暦 食計算・公文書→儀鳳暦 と《内田正男氏》)
*内田正男(1921~)・・・暦学者 「日本暦日原典」編者(1975)
儀鳳暦の実質単独使用は文武帝二年(698年)からとされています。
*文武帝(683~707 在位697~707)
父 草壁皇子(662~689)、母 元明天皇(661~721 在位707~715)。
持統天皇の譲位により文武元年(697)に一五歳で即位し、
大宝律令の制定、鋳銭司の設置、慶雲の改革などを行なった。
(日本国語大辞典 小学館)
以上から
日本書紀巻第◯一 神代上~巻第十三 允恭・安康帝は
698年以降に執筆された事になるのです。 続く。
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