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2022年2月 5日 (土)

続守言・薩弘恪 日本書紀を執筆 794

来倭された「続守言」さん、百済・高句麗侵攻時(660年)、
唐の武将だったのか、或いは、それ以前に唐から派遣された諜報部員
だったのかは不明です。只、唐軍団が百済を侵略後、高句麗討伐に
向かった際、百済占領部隊として残留していたのでしょう。
ところが、唐本体軍がいないので百済残存部隊が駐留軍を奇襲・殲滅、
「続守言」さんらを捕虜にしたと思われます。
その頭目将軍が先週紹介した「(佐平)福信」です。
まさか、「続守言」・「薩弘恪」さんが倭国の「音博士」になるとは
思ってもいなかったのでは?
それとも彼らは唐の諜報職部員の役目柄、倭国の情報を得る事も
可能だったので、好機とも?
そしてこのお二人が「日本書紀」を執筆されていたのではと
「森博達」さんが論理的に考察されています。
(但し、編纂方針・参考資料選択等は天武帝・舎人親王らが主導。)
*森博達(ひろみち 1949~)・・・古代日本語・漢語学者
「日本書紀の謎を解く 述作者は誰か」 (中公新書)
この著書に基づいて下記を作成しました。

《日本書紀 各巻 執筆者・採用暦》
巻数    頁数 巻名   執筆者    採用暦
巻第◯一 82p 神代上 山田史御方(やまだのふひとみかた)
巻第◯二 77p 神代下 山田史御方
巻第◯三 39p 神武帝 山田史御方 儀鳳暦平朔 ↓
巻第◯四 47p 綏靖・安寧・懿德・孝昭・孝安・孝靈・孝元・開化帝 山田
巻第◯五 33p 崇神帝 山田史御方
巻第◯六 19p 垂仁帝 山田史御方
巻第◯七 51p 景行・成務帝 山田史御方
巻第◯八 12p 仲哀帝 山田史御方
巻第◯九 42p 神功皇后 山田史御方
巻第◯十 27p 応神帝 山田史御方
巻第十一 47p 仁徳帝 山田史御方
巻第十二 18p 履中・反正帝 山田史御方
巻第十三 32p 允恭・安康帝 山田史御方(安康帝より元嘉暦)
巻第十四 60p 雄略帝 続守言 元嘉暦平朔 ↓
巻第十五 39p 清寧・顕宗・仁賢帝 続守言
巻第十六 12p 武烈帝 続守言
巻第十七 39p 継体帝 続守言
巻第十八 17p 安閑・宣化帝 続守言
巻第十九 88p 欽明帝 続守言
巻第二十 28p 敏達帝 続守言
巻第二一 24p 用明・崇峻帝 続守言 崇峻帝4年以降 三宅臣藤麻呂
巻第二二 57p 推古帝 山田史御方 元嘉暦平朔 ↓
巻第二三 25p 舒明帝 山田史御方
巻第二四 40p 皇極帝 薩弘恪 元嘉暦平朔 ↓
巻第二五 76p 孝徳帝 薩弘恪
巻第二六 30p 斉明帝 薩弘恪
巻第二七 40p 天智帝 薩弘恪
巻第二八 36p 天武帝〈上〉 山田史御方 元嘉暦平朔 ↓ 
巻第二九102p 天武帝〈下〉 山田史御方
巻第三十 67p 持統帝 紀朝臣清人 元嘉暦・儀鳳暦定朔の併用

(尚、頁数は国会図書館蔵 日本書紀 慶長15年1610年 高木家蔵で)
*儀鳳暦・元嘉暦の平朔と定朔について
*平朔
  太陰暦で、各月の朔をきめるのに、朔望月の平均の長さを順次
  加え朔の日をきめたもの。初期の太陰暦で使われた。
*定朔
  太陰暦で、新月の日が一日(=朔日)となるように、
  小の月(29日)と大の月(30日)とを適当に組み合わせていく暦法。
子細は来週に。 続く。

Ume

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