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2022年1月22日 (土)

南朝宋 倭国では呉国と 792

新コロナウイルス変異型のオミクロン株が蔓延している最中、
遅ればせながら、中途半端な気持ちで「賀正」。
今年も宜しくお願い致します。

それでは、昨年師走に困らせた「倭の五王」の件。
日本書紀の大泊瀬幼武天皇(雄略帝)の「南朝宋」関連について
抜き出してみます。

「(雄略帝六年《462年》)夏四月 呉國遣使貢獻 中略
 八年《464年》春二月 遣身狹村主青 桧隈民使博徳使於呉國
 中略
 《467年》秋七月 有從百濟國逃化來者 自稱名曰貴信
 又稱 貴信 呉國人也 中略
 十四年《470年》春正月丙寅朔戊寅 身狹村主青等共呉國使
 將呉所獻 手末才伎 漢織呉織 及 衣縫 兄媛弟媛等 泊於住吉津」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 雄略帝 P13の3行目~)
*呉國(国)・・・呉の呉音は「グ」、漢音は「ゴ」。
多分「グ」を「くれ」と聞こえたのでは思われますが・・・・・?
倭国は華南の中国王朝(首都建康=南京)を「くれのくに」と呼称。
又、呉国への拘りは
「呉太伯 太伯弟仲雍 皆周太王之子 而王季暦之兄也 中略
 寿夢立而呉始益大 称王 自太伯作呉 五世而武王克殷
 封其後為二 其一虞 在中国 其一呉 在夷蛮」
(史記 巻三十一 呉太伯世家 第一)
とあり、
「倭人在帯方東南大海中 依山島為国 地多山林 無良田 食海物
 旧有百余小国相接 至魏時 有三十国通好 戶有七万
 男子無大小 悉黥面文身 自謂太伯之後
 又言上古使詣中国 皆自稱大夫」
(晋書 巻九十七 列伝第六十七 四夷伝 )
魏と接触した倭人は呉国太伯の末裔と称した。この名残では?
(太伯の末裔と称した方は戦乱から逃れ、倭国に渡り稲作を伝授?)
*住吉津・・・住吉(現在の大阪市住吉区河口)の港
462年4月「呉国」遣使がお土産持参で訪問
464年「身狹村主青」と「桧隈民使博徳」を「呉国」へ派遣
467年「百濟國」からの逃亡者「貴信」は「呉国人」とも
470年「身狹村主青」等は「呉国(遣)使」と共に「呉国」が献上した
「手末才伎(機織り職人)」の
「漢織(あやはとり)」「呉織(くれはとり)」・・・絹錦・綾織物=綾絹
「衣縫(縫製職人)」の
「兄媛(えひめ)」「弟媛(おとひめ)」等と一緒に住吉津に停泊。
(「着物」は織り生地を縫えば出来上がり!)
一方、「宋書」では
462年3月「興」遣使献方物
ですから、「献方物」全く真逆になってしまいます。
更に「宋書」は「興」で「日本書紀」は「雄略帝」。
歴史研究家の皆さんは「武=雄略帝」で程、確定済みですので・・・・・。
 続く。

寒梅

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