宋書・梁書 倭国関連記述 790
次に、宋書 本紀から倭国関連を抜き出してみます。
「(元嘉)七年(430年)春正月癸巳 以吐谷渾慕容璝為征西將(将)軍
沙州刺史 是月 倭國(国)王遣使獻(献)方物
十五年(438年)春二月丁未 以平東將軍吐谷渾慕容延為鎮西將軍
秦河二州刺史
夏四月甲辰 燕王弘遣使獻方物 立皇太子妃殷氏
賜王公以下各有差 己巳 以倭國王珍為安東將軍 中略
是歲武都王 河南國 高麗國 倭國 扶南國 林邑國並遣使獻方物
二十年(443年)是歲 河西國 高麗國 百濟國 倭國並遣使獻方物
二十八年(451年)秋七月甲辰
安東將軍倭王倭濟進號(号)安東大將軍
(宋書 巻五 本紀第五 文帝)
*吐谷渾(トヨクコン)・・・鮮卑族慕容廆から分かれた慕容族
永嘉の乱(304~316)後、中国大陸西部(青海一帯)を支配し建国
*燕王弘・・・北燕 慕容雲(後燕)→馮跋(北燕)→馮弘(フウコウ)
尚、北燕は北魏の攻撃に耐えられず逃亡・滅亡(438年)
「(大明)四年(460年)十二月乙未 上於華林園聽(聴)訟
辛丑 車駕幸廷尉寺 凡囚繫咸悉原遣 索虜遣使請和
丁未 車駕幸建康 原放獄囚 倭國遣使獻方物
六年(462年)三月庚寅 立第十三皇子子元為邵陵王
壬寅 以倭國王世子興為安東將軍」
(宋書 巻六 本紀第六 孝武帝)
「(昇明)元年(477年)冬十一月己酉 倭國遣使獻方物
二年(478年)五月戊午,倭國王武遣使獻方物
以武為安東大將軍 輔國將軍 行湘州事任候伯有罪伏誅」
(宋書 巻十 本紀第十 順帝)
もう一つ参考として「梁書」を。
「梁書」は南朝梁(502~557)の史書、撰者は「姚思廉(ヨウシレン)」
南朝陳(557~589)→隋(581~618)→唐(618~907)の3朝に仕え、
636年に完成。時系列は南朝宋→南朝斉(479~502)→南朝梁に。
「正始中(204~249) 卑彌(弥)呼死 更立男王 國中不服 更相誅殺
復立卑彌呼宗女臺與(台与)爲王 其後復立男王 並受中國爵命
晉(晋)安帝時 有倭王贊(賛) 贊死 立弟彌 彌死 立子濟 濟死
立子興 興死 立弟武 齊(斉)建元中(479~482)
除武持節 督倭新羅任那伽羅秦韓慕韓六國諸軍事
鎮東大將軍 高祖卽(即)位 進武號(号)征東將軍」
(梁書 巻五十四 列伝第四十八 諸夷 倭)
*高祖・・・蕭道成(427~482在位479~482) 南朝斉の初代帝
「梁書」の「晉(晋)安帝時 有倭王贊(賛)」から
413年訪問は「賛⇔讃(宋書)」の遣使だった事が分かります。
(但し、異論あり。)
又、「宋書」の讃の弟「珍」は「梁書」で「彌(弥)」と表記されています。
来週、整理してみます。 続く。
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