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2021年11月27日 (土)

倭国の五王遣使 南朝宋へ訪問 789

420年「東晋」の恭帝から帝位を禅譲され(→簒奪し)た、
劉裕(363~422在位420~422)は
「南朝宋(420~479年)」を打ち立てます。
この時代の史書が以前紹介しました「宋書」です。
この南朝宋に倭国遣使が度々訪れています。
先ず、宋書 列伝 夷蛮 東夷 から。

「倭國(国)在高驪(麗)東南大海中 世修貢職
 高祖永初二年(421年)
 詔曰 倭讚(讃)萬(万)里修貢 遠誠宜甄 可賜除授
 太祖元嘉二年(425年)
 讚又遣司馬曹達奉表獻(献)方物
 讚死 弟珍立 遣使貢獻(438年)
 自稱(称)使持節 都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事
 安東大將(将)軍 倭國王 表求除正
 詔除安東將軍 倭國王
 珍又求除正倭隋等十三人平西 征虜 冠軍 輔國將軍號(号)
 詔並聽(聴)
 二十年(443年)
 倭國王濟(済)遣使奉獻 復以為安東將軍 倭國王
 二十八年(451年)
 加使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六國諸軍事
 安東將軍如故 并除所上二十三人軍郡
 濟死 世子興遣使貢獻(460年・462年?)
 世祖大明六年(462年)
 詔曰 倭王世子興 奕世載忠 作藩外海 稟(禀)化寧境 恭修貢職
 新嗣邊(辺)業 宜授爵號 可安東將軍 倭國王
 興死 弟武立 自稱使持節(477年・478年?)
 都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事
 安東大將軍 倭國王
 順帝昇明二年(478年)
 遣使上表曰
 封國偏遠 作藩于外 自昔祖禰(祢) 躬擐甲冑 跋涉(渉)山川
 不遑寧處(処) 東征毛人五十五國 西服眾(衆)夷六十六國
 渡平海北九十五國 王道融泰 廓土遐畿 累葉朝宗 不愆于歲
 臣雖下愚 忝胤先緒 驅率所統 歸(帰)崇天極 道逕(径)百濟
 裝(装)治船舫 而句驪無道 圖(図)欲見吞 掠抄邊隸 虔劉不已
 每(毎)致稽滯 以失良風 雖曰進路 或通或不
 臣亡考濟實(実)忿寇讎(讐) 壅塞天路 控弦百萬 義聲感激
 方欲大舉(挙) 奄喪父兄 使垂成之功 不獲一簣
 居在諒闇 不動兵甲 是以偃息未捷
 至今欲練甲治兵 申父兄之志 義士虎賁 文武效(効)功 白刃交前
 亦所不顧 若以帝德(徳)覆載 摧此強敵 克靖方難 無替前功
 竊(窃)自假(仮)開府儀同三司 其餘(余)咸各假授
 以勸(勧)忠節
 詔除武使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事
 安東大將軍 倭王」
(宋書 巻九十七 列伝第五十七 夷蛮 東夷 倭国 全文)

これ以外に「本紀」にも倭国の記述があります。来週に。 続く。

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2021年11月20日 (土)

400年初頭の東アジア模様 788

広開土王碑文「丁未(年)」を407年とした事から
「暦」についてくだくだ触れてしまいましたがお話しを元へ戻します。
でも、「暦」って、とても奥が深く、大切な事なのですよ!

それでは、「後燕と高句麗 仲良しに」からの続きから。
高句麗の好太王は412年に他界、諡は広開土王で領土を増加表現に。
413年に息子「長寿王《諡》(394~491在位413~491)」が継ぎます。
そして、華北の北魏の帝は2代目
拓跋嗣(明元帝)(392~423在位409~423)の時代。
一方、華南の東晋の帝は10代目
司馬徳宗(安帝)(382~418在位396~418)の時代。
実質は将軍の劉裕(363~422)が差配していました。
410年に劉裕は後燕から分かれ山東半島広固城を拠点としていた
「南燕(399~410)」を滅亡させました。
この状況を踏まえ

「(義熙九年《413年》)是歲 高句麗 倭国
 及 西南夷 銅頭大師並 献方物」
(晋書 巻十 帝紀第十 安帝 恭帝)
「高句麗王高璉(長寿王) 晋安帝義熙九年(413年)
 遣長史高翼奉表献赭白馬
 以璉為使持節 都督営州諸軍事 征東将軍 高句麗王 楽浪公」
「義熙十二年(416年) 以百済王余映為使持節 都督百済諸軍事
 鎮東将軍 百済王 高祖(劉裕)践祚(420年) 進号鎮東大将軍」
(宋書 巻九十七 列伝第五十七 夷蛮)

高句麗 倭国 百済の各国は東晋朝へお土産持参でご挨拶。
高句麗(征東将軍 高句麗王等)・百済(鎮東将軍 百済王等)は
東晋朝から「権威称号」を頂戴しています。
又、百済王の余映を「日本書紀 巻第十 応神帝」では
「十六年(285年)春二月 王仁來之 則太子菟道稚郎子師之
 習諸典籍於王仁 莫不通達 故所謂王仁者 是書首等之始祖也
是歳 百濟阿花王薨 皇召直支王謂之曰
 汝返於國以嗣位 仍且賜東韓之地而遣之」
国立国会図書館 電子図書館 日本書紀 応神帝 P36の11行目)
 又、285年は「天皇系図(宮内庁)日本書紀」でご確認下さい。)
直支(とき)王としています。
彼の父、阿花王(?~405在位392~405)は
405年に亡くなっています。
日本書紀のこの出来事は応神帝十六年=285年、
しかし、確定史実は405年。 405-285=120年に。
即ち、干支周期60年×2=120年の差が生じているのです。
(これは日本書紀編纂者の「1260年遡る辛酉年」企図の一環では?)
又、285年春二月に来倭された「王仁(わに)」さんの件は
中々前に進めませんのでここでは触れません。ご免なんしょ。 続く。

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2021年11月13日 (土)

B.C.660年神武帝 橿原宮で即位 787

推古二十八年→620年に厩戸皇子らが
「すめらみことのふみ(天皇記)」編纂の際、
「かむやまといわれびこ」(神日本磐余彦→後の神武帝)を初代にし
(神日本磐余彦の設定は「日本書紀」撰述者やも知れません。)
「日本書紀」編集者らが
「讖緯説」に基づき「1260年遡る辛酉年」に設定したのは
十中八九、百済から伝わった情報からと思われます。
*1260年=干支周期60年×21
先週の「神武元年~推古八年=1260年」をご確認下さい。
確かに、推古九年→601年から1260年遡ると(601-1260=-659)
-659年はグレゴリオ暦ではB.C.660年になります。
《キリスト紀元グレゴリオ暦は-1年(B.C.1)→1年(A.D.1)で
 0年が存在しない為なのです。(数の順序は-2 -1 0 1 2)
 従ってB.C.660年は閏年ではなくB.C.661年が閏年になります。》
これに則り、「神日本磐余彦→後の神武帝」は
B.C.660年橿原宮で即位とされているのです。
これ以後、
帝名は淡海三船の漢風諡号表記、
年はキリスト紀元グレゴリオ暦(通称西暦)年を先行表記します。
「讖緯説」の大変革「辛酉年1260年(1320年)説」は展開しません。
興味のおありの方はご自身でお調べ下さいませ。
因みに601年+1260年=1861年にも大革命は生じていません。
但し、その時代の日本の為政者は901年以降の「辛酉年」に
縁起を担ぎ「改元」しています。
0901年 昌泰04年 → 延喜元年 菅原道真 大宰権帥に左遷
0961年 天徳05年 → 応和元年
1021年 寛仁05年 → 治安元年
1081年 承暦05年 → 永保元年
1141年 保延07年 → 永治元年
1201年 正治03年 → 建仁元年
1261年 文応02年 → 弘長元年
1321年 元応03年 → 元亨元年
1381年 天授07年 → 弘和元年(南朝)
1381年 康暦03年 → 永徳元年(北朝) 義満 後円融帝を園遊会に
1441年 永享13年 → 嘉吉元年 嘉吉の乱
1501年 明応10年 → 文亀元年
1561年 永禄04年  改元せず 川中島の戦い(4回目)
1621年 元和07年  改元せず
1681年 延宝09年 → 天和元年
1741年 元文06年 → 寛保元年 北海道の渡島半島に大津波
1801年 寛政13年 → 享和元年 高田屋嘉兵衛 国後航路の発見
1861年 万延02年 → 文久元年 ロシア軍艦対馬占領事件
「改元せず」は2回のみ、全く、平和そのものでは・・・・・。
アンチ道真派(藤原時平派)の「三善清行(847~919)」が
901年(辛酉年)1月「昌泰の変(道真左遷)」を利用、
「延喜」へ改元を進言し「讖緯(辛酉改元)説」の先鞭をつけた張本人。
それはさて置き、
辛酉年春正月庚辰朔 ⇒ 神武帝元年正月一日は
グレゴリオ暦換算するとB.C.660年2月11日に。
「換暦」の和暦欄に「神武元年1月1日」と入力してみて下さい。)
この「2月11日」は
太陽暦への改暦年の翌年 明治七年の二月十一日(1874年2月11日)
から「紀元節(祝日)」となり1948年迄続行するも翌1949年は廃止、
やがて、1967年2月11日から「建国記念の日」として蘇るのです。
 続く。

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2021年11月 6日 (土)

神武元年~推古八年=1260年 786

厩戸皇子らが考案・編纂・記録した「天皇記」・「國(国)記」が後、
飛鳥時代後期に再編集され「日本書紀」誕生に及んだのです。
それでは日本書紀に記されている各帝の即位年、干支・太歳紀年を
推古九年→601年(辛酉年)から遡ってみます。

代 帝名   在位期間              在位年
01 神武帝 神武01年01月~神武76年03月 76年
00 空位                       03年
02 綏靖帝 綏靖01年01月~綏靖33年05月 33年
03 安寧帝 綏靖33年07月~安寧38年12月 38年
04 懿徳帝 懿徳01年02月~懿徳34年09月 34年
00 空位                       01年
05 孝昭帝 孝昭01年01月~孝昭83年08月 83年
06 孝安帝 孝安01年01月~孝安102年01月 102年
07 孝霊帝 孝霊01年01月~孝霊76年02月 76年
08 孝元帝 孝元01年01月~孝元57年09月 57年
09 開化帝 孝元57年11月~開化60年04月 60年
10 崇神帝 崇神01年01月~崇神68年12月 68年
11 垂仁帝 垂仁01年01月~垂仁99年07月 99年
12 景行帝 景行01年07月~景行60年11月 60年
13 成務帝 成務01年01月~成務60年06月 60年
00 空位                       01年
14 仲哀帝 仲哀01年01月~仲哀09年02月 09年
00 神功帝  神功01年10月~神功69年04月  69年
15 応神帝 応神01年01月~応神41年02月 41年
00 空位                       02年
16 仁徳帝 仁徳01年01月~仁徳87年01月 87年
17 履中帝 履中01年02月~履中06年03月 06年
18 反正帝 反正01年01月~反正05年01月 05年
00 空位                       01年
19 允恭帝 允恭01年12月~允恭42年01月 42年
20 安康帝 允恭42年12月~安康03年08月 03年
21 雄略帝 安康03年11月~雄略23年08月 23年
22 清寧帝 清寧01年01月~清寧05年01月 05年
23 顕宗帝 顕宗01年01月~顕宗03年04月 03年
24 仁賢帝 仁賢01年01月~仁賢11年08月 11年
25 武烈帝 仁賢11年12月~武烈08年12月 08年
26 継体帝 継体01年02月~継体25年02月 25年
27 安閑帝 継体25年02月~安閑02年12月 04年
28 宣化帝 宣化01年12月~宣化04年02月 04年
29 欽明帝 宣化04年12月~欽明32年04月 32年
30 敏達帝 敏達01年04月~敏達14年08月 14年
31 用明帝 敏達14年09月~用明02年04月 02年
32 崇峻帝 用明02年08月~崇峻05年11月 05年
33 推古帝 崇峻05年12月~推古08年12月 08年

《帝名は淡海三船の漢風諡号 漢字は新字体
 神功帝は神功皇后摂政期間 大正15年(1926)歴代天皇から除外》
上から在位年の合計は1252+空位年8年=1260年になります。

尚、各帝の系譜は「天皇系図(宮内庁)日本書紀」でご確認下さい。 
 続く。

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