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2021年10月30日 (土)

推古二十八年天皇記及國記を記録 785

推古九年→601年(辛酉年)厩戸皇子が斑鳩に宮を建造したのです。
この時点では厩戸皇子、及び、官僚達は重要事項でなかったのでは?
しかし、
推古二十八年→620年に次の記述があります。
「廿八年秋八月 掖玖人(屋久島の民)二口 流來於伊豆嶋 中略
 是歲 皇太子(厩戸皇子) 嶋大臣(蘇我馬子)共議之
録天皇記及國記 臣連伴造國造百八十部并公民等本記」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀 推古帝P23の9行目)
この年に厩戸皇子と蘇我馬子が「議(はか)」りて、
「天皇記(すめらみことのふみ)」(但し、表記漢字は日本書紀執筆者)
「國(国)記(くにつふみ)」
「臣・連・伴造・國造・百八十部并公民等」
 の「本記」を「録(=編纂・記録)」したと。
厩戸皇子らはそれ迄の「すめらみこと」を整理整頓し記録。
(既にあったと思われる「帝王本紀」等も参照・参考にし、
 暦法《讖緯説など》もかなり習得していたと考えられます。)
「帝王本紀」の表記は日本書紀 29代欽明帝にあります。
「一書云 其一曰茨城皇子 其二曰住迹皇子 其三曰泥部穴穗部皇女
 其四曰泥部穴穗部皇子 更名天香子 其五曰泊瀬部皇子 帝王本紀
 多有古字 撰集之人」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀 欽明帝P6の11行目)
わたくし達は今現在33代推古天皇と称していますがこの名称は
飛鳥時代ではなく奈良時代、「淡海三船」の創案名(762~764頃)。
*淡海三船(722~785)
 大友皇子(1870年より弘文天皇《648~672》)の曽孫 文章博士。
日本書紀には彼女を「豊御食炊屋姫天皇」と記しています。
この「豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」の名は
想像・空想・夢想するに「すめらみこと」編纂時、
厩戸皇子らが考案したのではないかと考えますが・・・・・。
(和風諡号は崩御後の殯時に送られた名称 持統帝~仁明帝と。
 《孝謙・称徳 淳仁 嵯峨帝は除く》)
又、日本書紀に彼女は「幼曰額田部皇女」ともあり、
幼い頃「ぬかたべのひめみこ」と周りの方々が
彼女の事をお呼びしていたとも。
こちらの名前は厩戸皇子らが命名したのではなく、
所謂、「額田部さん家の帝のお嬢さん」ってな呼称。
そして、厩戸皇子らが考え出した一途最初の「すめらみこと」が
「神日本磐余彦天皇」(かむやまといわれびこのすめらみこと)、
諱=本名は「彥火火出見(ひこほほでみ)《創作》」になるのでは・・・。
実際の所は
「とよみけかしきやひめ《創作》→ (豊御食炊屋姫)」
 ⇒「かむやまといわれびこ《創作》→ (神日本磐余彦)」
「ぬかたべのひめみこ《呼称》→ (額田部皇女)」
 ⇒「ひこほほでみ《創作》→ (彥火火出見)」
ってな具合に創り上げたのでは。
当然、「すめらみこと」創名と平行して
神日本磐余彦 ⇒ 豊御食炊屋姫へ繋がる「物語→歴史」も考案。
考えに考え抜いた末、
神日本磐余彦(後の神武帝)が「辛酉年(=神武帝元年)」
橿原宮にて即位にと至ったんです。 
従って、この時点で推古九年→601年(辛酉年)が重要な年に。 続く。

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2021年10月23日 (土)

推古帝九年=辛酉年 斑鳩宮造営 784

キリスト紀元は生誕年でも生誕翌年でもなかったのです。
この事に関しましては「キリスト紀元/西暦(世界史の窓)」
詳しく説明されていますのでご確認下さい。
とは云え、キリスト紀元に「突っ込み」を入れられません。
皇紀(=神武天皇御即位紀元)は
「日本書紀 巻第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇」の
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歳爲天皇元年」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀 神武帝P19の10行目)
の記述を採用しているからです。
辛酉年春正月庚辰朔 ⇒ 神武帝元年正月一日
日本書紀は編年体です。
*編年体・・・歴史書を年月順で記述する方法 ⇔ 紀伝体
著者は各帝の事績・生誕・即位年などを
即位紀年、干支・太歳紀年で記述しています。
*太歳
木星の異名(木星の鏡像となる仮想惑星)。
木星は一二年の周期で巡行したので、(木星の公転周期は11.862年)
十二支の運行と関連して考えられ、「太歳〇〇」の形で干支(かんし)
によって歳を記す暦法が行なわれるようになった。
「日本書紀」では、歴代の天皇の即位元年の記事の終わりに
「是年也、太歳〇〇」と記す(若干の異例あり)。
(日本国語大辞典 小学館)
因みに、「(推古帝)十二年 春正月戊戌朔 始賜冠位於諸臣」の様に。
この(推古帝)十二年が甲子年と後の政治要略が指摘しています。
甲子年から遡る3年前が辛酉年になります。
「日本の暦 六十干支」にてご確認下さい。
この推古帝九年が辛酉年、神武帝元年(即位年)も辛酉年。
辛酉年に異変が起こる・多いとする予言(讖緯説の辛酉革命)思想。
辛酉革命の「革命」は仏革命の「(暴力)革命」とは全く異なり
「天命により王朝を革(あらた)める」事。
*天命・・・古代中国思想で自然・宇宙神の思し召しで天子になる事
(但し、天子に「徳」が失せると交代の思し召し、従って、非科学的。
 王朝交代の方便として考案・利用された思想。)
(推古帝)九年=辛酉年ですので大変な何かが起こった?
「九年春二月 皇太子(厩戸皇子)初興宮室于斑鳩
 三月甲申朔戊子遣大伴連齧于高麗 遺坂本臣糠手于百濟
 以詔之曰 急救任那
 夏五月 天皇居于耳梨行宮 是時大雨 河水漂蕩 満于宮庭
 秋九月辛巳朔戊子 新羅之間諜者迦摩多到對馬 則捕以貢之
 流于上野 冬十一月庚辰朔甲申 議攻新羅」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀 推古帝P6の4行目)
特に大異変は生じていません。
強いて上げれば、厩戸皇子が斑鳩宮を「興(おこ)」したくらい。
 続く。

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2021年10月16日 (土)

太陽暦ニ改正ノ旨各国公使ヘ通知 783

先週紹介した「太政官布告第三百三十七号」を再度ご確認下さい。
「今般改曆(暦)ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候條此旨相達候事
 朕惟フニ我邦通行ノ曆タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ 中略
 今舊(旧)曆ヲ廢(廃)シ太陽曆ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン
 百官有司其レ斯旨ヲ體(体)セヨ 明治五年壬申十一月九日」

この布告日付は「明治五年壬申十一月九日」と。
「壬申(ジンシン)」は干支紀年法表記です。
「壬申の乱」は皆さんよくご存じですよね?
大友皇子(後の弘文天皇)と大海人皇子(後の天武天皇)との内乱。
ここで「本邦ニ於テ陰暦ヲ太陽暦ニ改正ノ旨各国公使ヘ通知一件」
p14にて書面に「Dec.24,1872」と記載されています。
グレゴリオ暦で1872年12月24日は
旧暦 明治五年壬申十一月二十四日に。(CASIO 西暦から和暦変換
この「壬申」年=1872年なります。
一方「壬申の乱」=1872-(60年周期×20)=672年となり、
日本史で習った年にぴったり合致します。
この干支年使用は日本史で散見されます。
乙巳の変(皇極帝4年《645》)・・・大化の改新
庚午年籍(天智帝9年《670》)・・・我が国の全国的な戸籍
庚寅年籍(持統帝4年《690》)・・・「六年一造」の最初の戸籍
昌泰の変(昌泰4年《901》)・・・菅原道真を太宰府に左遷
丁酉火事(明暦3年《1657》)・・・振袖火事 明暦の大火
戊辰戦争(慶応4年《1868》)・・・新政府軍と旧幕府軍の闘い
壬申戸籍(明治5年《1872》)・・・明治政府の作成戸籍
(松浦静山「甲子夜話」の甲子は随筆書き出し日 文政4年辛巳11/17)
(中国 辛亥革命(宣統3年《1911》)・・・武昌蜂起→1912中華民国に
*宣統・・・宣統帝(愛新覚羅溥儀) 清朝12代最後の皇帝
*武昌・・・現在の武漢市

ところでグレゴリオ暦1872年はキリスト紀元(《》内数字も同)。
グレゴリオ暦は「暦法」でキリスト紀元は「紀年法」になります。
*暦法・・・暦(こよみ)を作成する法則。
キリスト紀元は
イエス・キリスト(Jesus Christ )の生誕年の翌年を起点とした年号。
B.C.1年12月25日イエス・キリスト誕生
A.D.1年01月01日から紀年(誕生から8日後に割礼を受けた日とも)
但し、今現在、イエス・キリスト生誕年は
B.C.1年・A.D.1年でもなくB.C.4年以前とされているのです。 続く。

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2021年10月 9日 (土)

神武天皇御即位紀元 782

先々週、「『407年』は『キリスト紀元』を元とした紀年法」と
お話ししました。
先週の、
欽明帝十四年(553年)
小治田朝十二年 歳次甲子(604年)
天武帝五年(676年)
養老四年(720年)
天平七年(735年)
こちらも同じく()内数字は、キリスト紀元で「紀元紀年法」になります。
わが日本も先の大戦以前には「皇紀」と云う「紀元紀年法」が存在。
*皇紀=神武天皇御即位紀元
太政官布告第三百四十二号(明治五年十一月十五日)
今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付
其旨ヲ被爲告候爲メ来ル廿五日 御祭典被執行候事
但當日服者参朝可憚事

今般太陽暦御頒行はこの日に先立つ
太政官布告第三百三十七号(明治五年十一月九日)
一 今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ
  明治六年一月一日ト被定候事 但新暦鏤板出来次第頒布候事
一 一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事
になります。(旧字体は新字体に変更 以下同)
(国立国会図書館 電子図書館蔵書 法規分類大全)

尚、皇紀表記は外務省が各国公使に「太陽暦改正」通知した文書
で確認できます。
本邦ニ於テ陰暦ヲ太陽暦ニ改正ノ旨各国公使ヘ通知一件 p11
(国立公文書館 アジア歴史研究センター 外務省外交史料館)
「神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年」
(紀元2533年=明治6年 因みにキリスト紀元1873年
 但し、この時点では日本ではキリスト紀元1873年表記は不可)
(又、この文書記載 外務大丞、柳原前光は大正天皇の義父です。)

更に、グレゴリオ太陽暦を補完する勅令
勅令第九十号(明治三十一年五月十日) p4
(国立公文書館 デジタルアーカイブ 閏年ニ関スル件)
神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中
更ニ四ヲ以テ其ノ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
が公布され明治三十三年(不可表記1900年)は閏年ではなく平年に。
この勅令は今現在も生きています。 続く。

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2021年10月 2日 (土)

歳次甲子正月戊申(戌)朔 始用暦日 781

わが日本に於いても即位・干支紀年法がその昔導入されていました。

日本書紀 巻第廿二 豊御食炊屋姫天皇(推古天皇)
「十二年 春正月戊戌朔 始賜冠位於諸臣 各有差」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀P8の9行目)
推古帝十二年 正月一(朔)日 始めて諸臣に賜う。各々差有り。
この「十二年」が即位紀年法。
*日本書紀・・・養老四年(720年) 最初の勅撰国史 舎人親王ら
*舎人親王・・・天武帝五年(676年)~天平七年(735年)天武帝の子

政事要略 巻廿五
「儒傳云 以小治田朝十二年 歳次甲子正月戊申(戌)朔 始用暦日」
国立国会図書館 電子図書館蔵書 政事要略P37の15行目)
小治田朝(=推古帝)十二年 甲子年正月一日を以て暦を用い始めた。
*政事要略・・・寛弘五年(1008年)?頃 政務運営事例書 惟宗允亮著
*惟宗允亮・・・生没年不明 学者 藤原実資の命で政事要略を執筆
*藤原実資・・・天徳元年(957年)~永承元年(1046年)「小右記」著者
*小治田(=小墾田)・・・推古帝の居住地(宮)
この「歳次甲子」が干支紀年法で
先週紹介した「甲子(年)」=「184年」から前後関係を考慮、
184+(60年周期×7)=604年と割り出されています。
又、政事要略でこの年から我が国で「暦」が使用開始(頒暦)されたと。
*頒暦(ハンレキ)・・・帝が臣下に暦を頒布する事。

尚、「日本の暦(こよみ) 暦の歴史」(国立国会図書館)に依りますと
日本書紀での「暦」の文字初見は欽明帝十四年六月
「遣内臣闕名使於百濟 仍賜良馬二匹 同船二隻 弓五十張箭五十具
 勅云 所請軍者 隨王所須
 別勅 醫博士 易博士 曆博士等 宜依番上下 今上件色人
 正當相代年月 宜付還使相代 又卜書 曆本 種々藥物 可付送」
との事です。
欽明帝十四年(553年)に
倭国は百済に「暦博士・暦本」等々を所望とされています。 続く。

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