即位・元号・干支紀年法等 780
先週、広開土王碑文「丁未(年)」を干支紀年法から407年としました。
今となっては昔となりますがこの件は以前にも触れました。
「辛卯年(391年)好太王即位」
「旧暦・十干十二支・陰陽五行説」にてご確認下さい。
今回は観点を変えて紹介してみます。
*中国史書で記述された年表記箇所
「秦王政立二十六年 初并天下為三十六郡 号為始皇帝」
(史記 巻五 秦本紀 第五)
「蒼天已死 黄天当立 歳在甲子 天下大吉 中略 中平元年」
(後漢書 巻七十一 皇甫嵩朱儁列伝 第六十一)
「文皇帝諱丕(=曹丕) 字子桓 武帝太子也 中平四年冬 生于譙」
(三国志 巻二 文帝紀)
秦王政二十六年・・・秦の始皇帝が中国を統一した年 ⇒ 即位紀年法
甲子・・・黄巾の乱の年 ⇒ 干支紀年法
中平四年・・・曹丕の生まれた年 ⇒ 元号(=年号)紀年法
即位紀年法は漢朝武帝の「元号」制定以前、以後は元号紀年法表記。
即位紀年法は即位年を元年、元号紀年法は元号制定年が元年。
即位紀年法は即位者が亡くなると消滅、
元号紀年法は改元、及び、即位者他界で終了する有限・積年紀年法。
一方、干支紀年法は60年に1回巡ってくる循環紀年法。
(故に60年経過にて「還暦」って。)
ここで、「丁未(年)」の件。
中平元年は「184年」と規定されています。
従って、「甲子(年)」=「184年」に。
上を所与にすると、「六十干支」から「甲子=1年」・「丁未=44年」
甲子年=184年 → 244年 → 304年 → 364年 → 424年
丁未年=227年 → 287年 → 347年 → 407年 → 467年
前後関係から広開土王碑文「丁未」は「407年」に。
又、この「407年」は「キリスト紀元」を元とした通年紀年法です。
続く。
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