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2021年7月10日 (土)

劉裕 妖賊孫恩の乱に勝利 772

先週紹介した
「晋書(撰648年 唐)《晋265~420》」と
「宋書(撰488年? 斉)《宋420~479》」は
「後漢書(撰432年? 宋)《後漢25~220》」と
「三国志(撰280年 晋)《魏蜀呉220~265》」の時系列と同じ。
従って「三国志」、及び、「宋書」はより史実を脚色されていないと
云われる由縁です。
それでは今後は「宋書」を軸として展開します。

「高祖武皇帝諱裕 字徳輿 小名寄奴 彭城県綏輿里人
 漢高帝弟楚元王交之後也 中略
 高祖以晋哀帝興寧元年(363年)歳次癸亥三月壬寅夜生
 及長 身長七尺六寸 風骨奇特
 家貧 有大志 不治廉隅 事継母以孝謹称」
*彭城県・・・現在の江蘇省徐州市
 (宋書 巻一 本紀第一 武帝上)
「劉懐粛 彭城人 高祖従母兄也 家世貧窶 而躬耕好学 中略
 初 高祖産而皇妣殂 孝皇帝貧薄 無由得乳人 議欲不舉高祖
 高祖従母生懐敬 未期 乃断懐敬乳 而自養高祖 高祖以旧恩
 懐敬累見寵授 至会稽太守 尚書 金紫光禄大夫」
*劉懐粛(?~407)・・・劉裕の母方の従兄 後に会稽太守等に
*会稽・・・現在の浙江省紹興市・寧波市と杭州市一部
 (宋書 巻四十七 列伝第七 劉懐粛)

(南朝)宋初代帝、劉裕の母は産後亡くなり、劉裕の父は貧乏で
「乳人」を用意できず、「高祖従母(劉裕の伯母)」が代わりに
劉裕にお乳を与え育てた。(巻四十七)
劉裕は貧しかったものの大志を抱き、細々した事には拘らなかったが
「継母」には孝行したと云われている。(巻一)

「安帝隆安三年(399年)十一月 妖賊孫恩作乱於会稽
 晋朝衛将軍謝琰 前将軍劉牢之東討 牢之請高祖参府軍事」
*妖賊・・・妖術を駆使、時の権力に敵対する賊徒(五斗米道教団
*孫恩・・・「孫恩の乱」の立役者。信者等と会稽にて東晋に叛旗。
*劉牢之(リュウロウシ ?~402)・・・東晋の武将
(宋書 巻一 本紀第一 武帝上)
孫恩ら蜂起の際、劉裕は劉牢之の配下として鎮圧に参軍します。
「妖賊孫恩」ら反乱分子との闘いで劉裕は悉く勝利を収め、
彼の存在・評価が上がる事に。 続く。

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