五胡十六国 16国全容 769
*五胡十六国
中国、晋末から南北朝時代が始まるまで、
華北に興亡した五胡と漢人の建てた王朝およびその時代の総称。
十六国は、
匈奴の | 漢(前趙) | 北涼 | 夏 | ||
鮮卑の | 西秦 | 前燕 | 後燕 | 南燕 | 南涼 |
羯(ケツ)の | 後趙 | ||||
氐(テイ)の | 前秦 | 後涼 | 成(漢) | ||
羌(キョウ)の | 後秦 | ||||
漢人の | 北燕 | 前涼 | 西涼 |
(赤表記は以前触れました)
残りの8国について、
*北涼(397~439)
後涼の建康(甘粛)の太守、段業が、
匈奴の沮渠蒙遜(ショキョモウソン)に擁立されて甘粛北部に建国。
のち北魏に滅ぼされた。涼。
*夏(407~435)
匈奴の赫連勃勃(カクレンボツボツ)が407年に建国。
長安を攻略し、関中を平定、陝西、甘粛、オルドスを支配したが、
三代二五年で北魏に滅ぼされた。
*南燕(398~410)
後燕の都、中山が北魏に奪われたとき、後燕は二つに分裂するが、
そのうちの一つを鮮卑族の慕容徳がついで広固に都して建国。
のち東晉に滅ぼされた。
*南涼(397~414)
河西鮮卑(元は拓跋部)禿髪烏孤(トクハツウコ)によって建てられた国。
西秦に都を奪われ降伏。
*後涼(386~403)
386年氐族の呂光が前秦から独立して甘粛に建国。
都は姑臧(甘粛省武威県)。四代で、403年、後秦に滅ぼされた。
*成漢(304~347)
氐族の李雄が、304年四川の成都を中心に建てた国。
国号は成、後に漢。347年、七代で東晉に滅ぼされた。
*北燕(409~436)
後燕の将の馮跋が後燕を奪って熱河付近に建てた国。
二代で北魏に滅ぼされた。
*西涼(400~421)
東晉の末、漢人、敦煌太守李暠(リコウ)が北涼から自立して、
現在の甘粛省西北部の酒泉県に建てた国。都は敦煌・酒泉。
二代で北涼に滅ぼされた。
(日本国語大辞典 小学館)
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