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2021年5月22日 (土)

石越 垂排除具申 苻丕拒否 765

「(慕容)垂請入鄴城拝廟 (苻)丕不許 乃潜服而入 亭吏禁之
 垂怒 斬吏焼亭而去
 石越言於丕曰 垂之在(前)燕 破国乱家 及投命聖朝
        蒙超常之遇 忽敢軽侮方鎮 殺吏焚亭 反形已露
        終為乱階 将老兵疲 可襲而取之矣
 歪曰 淮南之敗 衆散親離 而垂侍衛聖躬 誠不可忘
 越曰 垂既不忠於燕 其肯尽忠於我乎 且其亡虜也
    主上寵同功旧 不能銘澤誓忠 而首謀為乱 今不撃之
    必為後害
 丕不従
 越退而告人曰 公父子好存小仁 不顧天下大計
        吾属終当為鮮卑虜矣」
*石越(セキエツ)・・・前秦の将軍、彼も東晋征伐に慕容垂と共に参軍
*歪=苻丕
*小仁・・・親愛の情・思いやり。「小」は石越の思いから。
(晋書 巻一百二十三 載記第二十三 慕容垂)
慕容垂は出陣に先立ち、再度、苻丕に墓参りを要請しますが
苻丕から許しが出ませんでした。
そこでやむなく、隠密に「廟」を訪れようと謀るも、小役人が制止。
これに慕容垂は怒り心頭、小役人を斬り捨て、役所を焼失します。
この状況を聞き及んだ「石越」は苻丕に進言。
慕容垂が前燕の配下だった際、内部トラブルから我が前秦へ赴き
 前燕を崩壊させました。確かに我が天子(苻堅)に命を投げ出す
 働きをし、天子は厚く遇しました。ところが彼は我らを侮辱し
 廟の役人を殺め、役所を焼き払う体たらくに及びました。
 この行いは前秦に叛旗したと考えます。故に彼の取り除きを。」と。
これに対し苻丕は
「慕容垂は淝水敗戦後、父の九死一生の呈に及んだ際、
 退陣護衛してくれた『誠』を忘れてはならぬ」と。
石越は再び慕容垂の経緯を言上します。
しかしながら、苻丕は彼の具申に従いませんでした。
この後、石越は
「苻堅と苻丕は情けを好み、天下の大計を顧みていない。
 いずれ吾らは鮮卑(慕容垂ら)に捕縛されるだろう」と語ったと。
 続く。

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