苻堅 淝水の戦いで敗北 762
東晋征討軍の先陣、苻融(苻堅の弟)は
「寿春(現在の安徽省淮南市寿県)」を陥落、先陣別働隊の慕容垂は
「鄖城(現在の湖北省十堰(エン)市)」を攻略。
苻堅は要衝、「寿春」奪取の報を受け本隊を抜け「寿春」へ。
「寿春」と「合肥(現在の安徽省合肥市)」を結んで流れているのが
「淝水(現在の安徽省淮南(ワイナン)市寿県の南東を流れる川)」。
「寿春」を死守し「合肥」を落とせば
「巣湖(現在の合肥市にある淡水湖)」 → 「長江」へと続き、
「長江」を下れば東晋の首都、「建康(南京)」に到達します。
「寿春」の東晋征討軍の先陣は「淝水」をはさんで東晋郡と対峙。
「淝水」の南岸に陣取る前秦軍、
「淝水」の北側に迎え撃とうとする東晋軍。
ここで東晋軍は苻融の前秦軍に提案します。
「遣使謂(苻)融曰
君懸軍深入 置陣逼水 此持久之計 豈欲戦者乎 若小退師
令将士周旋 僕与君公緩轡而観之 不亦美乎
(苻)融於是麾軍却陣 欲因其済水 覆而取之
軍遂奔退 制之不可止 (苻)融馳騎略陣 馬倒被殺 軍遂大敗
王師乗勝追撃 至於青岡 死者相枕
(苻)堅為流矢所中 単騎遁還於淮北」
*淮北・・・現在の安徽省淮北(ワイホク)市
(晋書 巻一百十四 載記第十四 苻堅下)
「あなたの軍は『淝水』岸に陣取っているのは持久戦ですか。
私達はあなたの軍と戦いたいのです。
少し陣を退いて頂ければ私達は川を渡ります。
そこで雌雄を決したら如何でしょう」 と。
これに対し、慢心だったのか、なぜか
圧倒的な兵力を擁する苻堅は
持久戦に持ち込まず応じてしまうのです。
彼は「淝水」の南岸に陣取る前秦軍をやや後退させ、
東晋軍に「淝水」を半分渡った所で前秦軍を反転させ攻撃する策に。
苻融はこれを採用、前秦軍をやや後退させます。
ところが、ここでドラマが起きます。
命令系統の不備だったのか後退し始めた前秦軍の兵士達の退却が
続き反転攻勢にでなかったです。
苻融は馬を馳せ陣を制止させようとしますが、
退却の波に呑まれ馬は転倒、
敵兵に殺害され、これにて苻融の前秦軍は大敗を喫するのです。
苻堅も流れ矢に当たり負傷、
からくも単騎で淮北まで逃げ延びたのです。 続く。
| 固定リンク
コメント