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2021年3月20日 (土)

慕容垂 東晋軍を撃退 758

367年晋書の著者に褒めちぎられた慕容恪は臨終間際の際、
見舞いに訪れた慕容暐(18歳)に後事を問われ、答え諭します。
「臣下の私が聞くところに依りますと、
 これ迄の恩に報いるには賢人推挙が最上であると言われています。
 そこで私は「呉王(=慕容垂)」をお薦めします。
 かれは「文武」両道、才能も兼ね備えています。
 秦を滅ぼし、漢を樹立した劉邦を支えた「管仲」・「蕭何」にも
 匹敵します。もし「陛下(=慕容暐)」が国政を彼に任せれば
 国は安寧です。さもなくば必ずや前秦・東晋に隙を窺われます。」
(管仲・蕭何、及び、上記の原文は「慕容恪を絶賛の晋」で。)
このように述べ、間もなくあの世に旅立ちます。
慕容垂(326~396)はこの時、壮年の41歳。
但し、慕容暐は慕容恪に聞いておきながら
慕容垂を国政に参加させませんでした。
慕容暐の問題なのか取り巻き関連なのかは不明。しかしながら、
数え18歳のリーダがそのようにしたからには慕容暐は「前燕」を
「前秦・東晋」の攻撃・政治介入から死守しようとする「気持ち」が
欠如していた事だけは事実です。残念ながら、
慕容暐は「人間観察感性」を備えていなかったのでしょう。
慕容恪が亡くなって2年後の
369年「東晋」は「前燕」討伐攻撃を仕掛けます。
東晋軍は北進、各地を落とし、「前燕」派遣将軍を殲滅、
枋頭(現在の河南省鶴壁市)迄も迫ったのです。
この状況に慕容垂は慕容暐に「征討東晋軍」将軍を要請、
慕容暐、及び、腰が引けている取り巻きらから賛同を受け、いざ出陣。
慕容垂軍は各地で奮戦、敵軍の兵站を絶ち敵兵力を削ぐ作戦に。
この作戦等が功を奏し、東晋軍は壊滅を避ける為退却。
慕容垂軍は未だ血気盛んな東晋殿(しんがり)軍をゆっくり目に追尾、
彼らが疲弊したと見るや一気呵成に追撃、、
襄邑(ジョウユウ)(現在の河南省商丘市)にて
東晋軍将軍に逃げられるも東晋軍を殲滅・撃退したのです。 続く。

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