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2021年1月30日 (土)

漢人は夷・狄・戎・蛮の混淆人 751

先週、漢人を含め色んな種族・部族が中国大陸で闘いに明け暮れた
とお話ししました。
これらの漢人・匈奴人・鮮卑人・羯人・氐人・羌人の方々が
好き嫌いは別として互いに血が混じり合ったと推測されます。
従って、かの時代に漢人から中国(大陸)人に変容したのです。
そもそも、この「漢人」は劉邦が中国統一王朝「漢」を打ち立て、
滅亡まで、中国大陸にお住まいで戸籍(名籍)に登録された方々です。
(B.C.206~A.D.220)
因みに、「晋書 巻十四 志第四 地理志 上」
及び、「中国の人口の歴史」に依ると
002年 59,594.978人 前漢末
057年 21,007,820人 後漢
157年 56,486,856人 後漢末
280年 16,163,863人 西晋
609年 46,019,956人 隋
755年 52,919,309人 唐
前漢末期の人口は約六千万人、
王莽政権奪取、打倒王莽で赤眉軍・緑林軍等蜂起、戦乱で人口激減、
25年光武帝(B.C.6~57)が漢再統一、懸命に世を立て直し、
倭国が金印を授与された57年に約二千百万人となり、
後漢末157年に約五千六百万人まで回復も、
黄巾の乱、三国時代騒乱により、一千万人弱に激減していた感じ。
(221年蜀90万人、242年呉240万人からの類推)
紆余曲折を経て、265年に司馬炎(236~290)が中国統一、
280年には約一千六百万人を数える事に。但し、
この数字の中には曹操により現在の山西省移住させられた
五部匈奴人が含まれていると思われます。
この後、八王の乱、西晋滅亡、五胡十六国・東晋時代へ突入、
戦禍が続き、ピュアーな「漢人」は限りなく減少したと考えられます。
否、「ピュアーな漢人」と云えども、
中原(洛陽盆地)に一番最初に「都市(交易市場)」を作った
夏王朝は「東夷人」と云われていますし、次の
殷王朝は「北狄人」と云われていますし、次の
周王朝は「西戎人」と云われていますし、次の
秦王朝も「西戎人末裔」と云われています。この秦を倒した劉邦が
漢王朝で「漢人」の創始者です。
(因みに「南蛮人」は春秋時代の「楚」人とと云われています。)
従って、漢人は東夷・北狄・西戎・南蛮人の混交人なのです。
この後、五胡十六国・東晋時代には更なる混淆が進む事に。
私ども、海洋国家の日本人と異なり、大陸国家ならではの様相。
 続く。

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2021年1月23日 (土)

五胡十六国・東晋時代 750

コロナ禍の最中、
遅ればせながら、例年に比して心より喜べませんが「賀正」。
なかんづく、今年も宜しくお願い致します。

それでは、昨年からの続きです。
匈奴族の劉淵鮮卑族の慕容廆ら時空は「五胡十六国・東晋時代」
と称されています。
*五胡十六国
中国、晋末から南北朝時代が始まるまで、
華北に興亡した五胡と漢人の建てた王朝およびその時代の総称。
十六国は、
匈奴の建てた漢(前趙)・北涼・夏、
鮮卑の西秦・前燕・後燕・南燕・南涼、
羯(けつ)の後趙、
氐(てい)の前秦・後涼・成(漢)、
羌(きょう)の後秦、
漢人の北燕・前涼・西涼をいう。
八王の乱以後、晉の統制力がゆるんだのに乗じ、五胡が蜂起。
304年、匈奴の族長劉淵が漢を建ててから、
439年、鮮卑の拓跋氏の建てた北魏が華北を統一するまで
各地で割拠した。(日本国語大辞典 小学館)
*五胡
中国、後漢以来、中国の北・西部に居住し、晋代に蜂起、
独立した異民族。匈奴、羯、鮮卑、氐(てい)、羌の五族をいう。
前三者はモンゴルおよびツングース系(トルコ系ともいう)、
後二者はチベット系に属する。(日本国語大辞典 小学館)
*ツングース(通古斯)
(ロシア Tungus) 中国東北部、シベリア東部に分布する民族。
主として狩猟遊牧民。
粛慎(みしはせ)・挹婁(モウロウ)・勿吉(モッキツ)・靺鞨(マッカツ)・
渤海・女真(ジョシン)などがこれに属する。
シャーマニズムの祭祀形態が顕著で、
古代日本人との関連が深いといわれる。ツングース語を話す。
(日本国語大辞典 小学館)
と説明されています。
要はかの時代135年間に渡り、
漢人を含め色んな種族・部族が中国大陸で闘いに明け暮れたのです。
否、実際は鮮卑族の末裔、楊堅(541~604在位581~604)が
中国統一王朝、隋ができるまで300年弱、戦乱が続いていたのです。
 続く。

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