劉淵は文武両道でいい男 735
先週、劉淵が文才に長けていたお話をしましたが
匈奴の血を引く彼は武技にも優れ、立っ端も高かったお方とか。
イケメンだったかどうかは記述されてされていませんので不明。
「姿儀魁偉 身長八尺四寸 須長三尺余」
(晋書 巻一百〇一 載記第一 劉元海=劉淵)
劉淵時代の1尺24.2㎝として換算すると彼の身長は203㎝に。
又、「須(鬚 あごひげ)」は、なな何と72.6㎝余りと。(中国の度量衡)
立っ端はやや盛り気味と思われます。
鬚は盛り過ぎでは?
この長さだとお股近辺まで到達してしまい邪魔くさいでしょう?
只、鬚も立派だったって事なのでしょう。十二分にお洒落ですよ?
三国志に「関羽」の鬚・髯(ほおひげ)が美しかったと書かれています。
「(関)羽美鬚髯 故(諸葛)亮謂之髯 羽省書大悦 以示賓客」
(三国志 巻三十六 蜀書六 関(羽)張(飛)馬(超)黄(忠)趙(雲)伝)
関羽は諸葛亮に鬚髯を褒められ悦んでいます。
いずれにせよ、劉淵は文武両道でいい男だったって事に。
出で立ちはこれ位にして、「劉元海=劉淵」について。
彼の姓(一族名)は「劉」、諱(本名)は「淵」、
字(成人後の呼び名)は「元海」です。
従って、「劉淵」が正式名(姓・諱)になります。
因みに、三国志での漢(=蜀漢)皇帝「劉備」の場合、
姓は「劉」、諱(いみな)は「備」、字(あざな)は「玄徳」です。
それでは、
なぜ、晋書が彼を「劉元海」としたかは一等最初に記述されてます。
「劉元海 新興匈奴人 冒頓之後也
名犯高祖廟諱 (加注 名淵 与唐高祖同名) 故称其字焉」
(晋書 同上)
晋書の編纂年は唐時代(618~907)の648年とされています。
西(都、洛陽)晋(265~316)~東(都、建康=南京)晋(317~420)
鮮卑隋王朝(581~618)を倒し、鮮卑唐王朝を興した将軍は「李淵」。
唐初代皇帝、「李淵(566~635)」の諱が「淵」の為、劉淵→劉元海に。
いつの世も官僚(この時は「房玄齢(578~648)」)は忖度するのです。
続く。
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