冒頓単于の末裔 劉淵登場 734
夏休み終了、貴重な日本国リーダー辞任も本日より再スタートします。
三国時代の覇者は魏・曹操となり、やがて魏は晋へと変遷するのは
周知の通りです。
「魏・蜀・呉(三国時代)」
「死諸葛(孔明)走生(司馬懿)仲達」
「張華と陳寿(壽)の歩み」
「陳寿(壽)の素敵な人となり」
「司馬炎 妓妾五千人入宮」
「賈皇后→張華→三国志」
「賈后政権奪取に貢献 張華」
「賈后 庶民出の張華を重用」
「300年4月張華絶命」 をご確認下さい。
南匈奴の皆さんが魏・曹操により塞内の山西高原に移住させられ
五部に分割された件は前回紹介しました。
この五部の左部帥(領主)になったのが単于於扶羅の息子「劉豹」。
南匈奴の単于名は216年曹操により鄴に抑留された呼廚泉で終了。
これ以降、史書で於扶羅一族等は「姓」を「劉」と記述されます。
「漢高祖以宗女為公主 以妻冒頓 約為兄弟 故其子孫遂冒姓劉氏」
(晋書 巻一百〇一 載記第一 劉元海(=劉淵))
「劉」は「平城・白登山の戦い」(B.C.200)で
匈奴の冒頓単于が漢帝国の「劉邦」皇帝に勝利した後、
「冒頓・劉邦 昆(兄)弟の契り」を交わし、姻戚関係を結んだ結果。
この劉豹(リュウヒョウ)の息子が「劉淵」(?~310)。
「幼好学 師事上党崔游 習 毛詩 京氏易 馬氏尚書
尤好 春秋左氏伝 孫吳兵法 略皆誦之
史漢諸子 無不綜覧」
(晋書 巻一百〇一 載記第一 劉元海(=劉淵))
劉淵は幼い時から学ぶ事が大好きで「崔游」に事え
「毛詩(詩経)」・「京氏易(易経)」・「馬氏尚書(書経)」を習い
「春秋左氏伝」・「孫(孫子)吳(呉子)兵法」を好み暗誦し
「史書」・「漢書」・「諸子(百家)」等々、目を通したと。
これって殆ど過去の全ての文献を学習したって事に。
これが事実であったら、思わず、頭が下がってしまいます。
話半分としても「凄い」ってもの。
*詩経
中国最古の詩集で、五経の一つ。三〇五編。撰者未詳。
孔子が約三〇〇〇の古詩から選んだものともいう。風・雅・頌の
三部から成り、風は国風ともいい、黄河流域の諸国の民謡で一五
に分かれ、雅は周王朝の宮廷歌で大雅・小雅の二つに分かれ、頌
は祖先神をまつる歌で周頌・魯頌・商頌の三つに分かれる。
ほぼ紀元前一一~六世紀間の歌と推定され、四言の詩型を中心と
して、くりかえしが多い。漢の毛亨(もうこう)が伝えた書が唯一の完
本であるため「毛詩」ともいう。毛亨の伝、鄭玄の注、唐の孔穎
達(くえいだつ)の疏が古注の標準で、宋の朱熹の「詩集伝」が新注と
呼ばれる。詩。毛詩。
*易経
中国五経の一つ。陽を-印、陰を--印で示し、それを組み合わせ
た六十四卦によって自然と人生の変化の道理を説いた書。
各卦を説明する暗示的な卦辞に対して、さらに「十翼」と称せら
れる解説がつけられ、儒家的な宇宙観、倫理観を表わすようにな
った。作者として、周の文王、周公、孔子が擬せられるが、卦辞
は周代の巫女のメモ、十翼も春秋から戦国にかけての諸家の作と
考えられる。
漢代には、主に予言や占いの書として用いられた。周易。易。
*書経
中国の経書。五経の一つ。孔子の編という。「書経」の名は「尚書」
の宋代以後の称。
堯舜時代から秦の穆公に至る古記録を一〇〇編にまとめたもの。
古代の政治における君臣の言行の模範とすべきものを集めたもの
で、史書としての価値も高い。現行のものは東晉の梅賾の依託に
なる「孔安国伝古文尚書」五八編であり、「偽古文尚書」といわれ
る。漢代には孔子の旧宅から発見された「孔壁古文」といわれる
「古文尚書」五八編と秦の博士伏生の伝えた「今文尚書」二九編
があったが、いずれも今は諸書に断片として伝わるだけである。
注釈書として漢の孔安国伝、唐の孔穎達疏の「尚書正義」が著名。
*春秋左氏伝
中国の十三経の一つ。魯の歴史を書いた「春秋」の解釈書。三〇
巻。著者は左丘明、魏の史官左氏、劉歆(りゅうきん)の偽作という三
説がある。漢代に劉歆によって校訂流布された。一説に「春秋」
とは無関係で独立の史書ともいう。「春秋」の記述に合わせて史実
や史話で解説。古注として晉の杜預(どよ)の「春秋左氏経伝集解(し
っかい)」と唐の孔穎達(くえいだつ)の「春秋左伝正義」が有名。
公羊(くよう)伝、穀梁伝とともに「春秋三伝」といわれる。春秋左氏伝。
左氏春秋。左伝。
(日本国語大辞典 小学館) 続く。
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