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2020年7月18日 (土)

兄弟分裂で南匈奴と北匈奴に 731

漢帝国に対峙できなくなった匈奴は内部分裂を起こします。
この対立を収束したのが「呼韓邪(こかんや)単于」。
彼は漢王朝に参内、よしみを結びます。
時の皇帝は儒教をこよなく愛した
元帝(B.C.74~B.C.33 在位B.C.48~B.C.33)。
「前漢末 儒教一世風靡」をご確認下さい。)
元帝は呼韓邪単于にその世の絶世の美女と云われた「王昭君」を
与える程、欣喜雀躍。
男尊女卑の儒教ならではの「女性」の贈与、如何なものか考えます。
一方、呼韓邪は彼女を大切に扱い「閼氏」とし、
王昭君は彼の死後、匈奴文化に従い違和を感じながらも
呼韓邪の息子の妻になっています。
そんなこんなで、漢・匈奴に和平な世が訪れました。
しかし、平和な時代はつかの間。
「王莽(B.C.45~A.D.23)」の時代になると
「新王朝」は匈奴に辛く当たります。
「王莽 大司馬~摂皇帝に」「王政君崩御 地球寒冷化?」を。)
漢・匈奴関係は一転悪化してしまうのです。
この後、時の経過、
「呂母の乱から赤眉軍結集」
「赤眉軍に触発され緑林軍決起」
「二つの中国 王莽・劉玄帝」
「王莽23年間トップ本望を遂げる」
「赤眉軍 漢書記述ほんの少々」
「赤眉軍 劉盆子立て更始帝打倒」
「二つの中国 劉盆子・劉秀帝」
「赤眉蜂起軍 樊崇 花と散る」
「光武帝 漢王朝復活」
と光武帝(B.C.6~57 帝位25~57)が漢王朝(後漢)を復活。
この間、匈奴は兄弟内部分裂抗争を来してしまいます。
48年呼韓邪単于の孫の一人、「比」は匈奴から独立、
一部の部族長達の推挙で単于となり「南匈奴」を打ち立てます。
単于名は祖父にあやかり「呼韓邪単于(本名、醢落尸逐鞮単于)」と。
この後、元の匈奴は「北匈奴」と称された。(南北は住居地による)
醢落尸逐鞮(かいらくしちくてい)単于は漢王朝光武帝に恭順。
北匈奴と漢との防壁となる旨申し出、祖父時代のよしみを復興。
漢王朝と北匈奴部族との戦いへの道に突き進むのです。 続く。

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