白登山の戦い冒頓勝利 728
「史記 巻百十一 匈奴列伝 第五十」
「冒頓与韓王信之将王黄 趙利期 而黄利兵又不来 疑其与漢有謀
亦取閼氏之言 乃解囲之一角 於是高帝令士皆持満伝 矢外郷
従解角直出 竟与大軍合 而冒頓遂引兵而去 漢亦引兵而罷」
「史記 巻五十六 陳丞相世家 第二十六」
「囲以得開 高帝既出 其計秘 世莫得聞」
冒頓は奥様の進言もさることながら、
それ以上に
「韓王信」の将軍、「王黄」「趙利」軍が未だ平城に到着せず、
漢軍に寝返ったのではないかと疑心暗鬼状況だったのです。
そこで彼は彼女の言を取入れ、囲みの一角を解放したのです。
これにより劉邦は兵士達に矢をいっぱい引き絞るよう命令、その矢を
匈奴軍に向けさせ、解放された一角から直ちに遁走し後続軍と合流。
冒頓は兵を引き平城を去り、漢軍も退去。
これにて、平城・白登山の戦いは終焉を迎えたのです。
当然、この戦いは匈奴冒頓軍の完全勝利です。
冒頓が日和らず、冬の凍てつく中、今暫し劉邦軍を兵糧攻めにし、
「王黄」「趙利」軍の到着を待たなくても、
平城・白登山に籠もる劉邦軍を殲滅、劉邦の首を取れた筈では?
但し、歴史に「もしは禁物」。
気になるのは「陳平」の秘策。
何せ、「史記」に彼の計略は「秘」とされ、
誰も知るよしがないと記されているのです。(其計秘 世莫得聞)
この秘計は閼氏さんの嫉妬心をくすぐる策であったと
後の世で云われた事になっています。
(冒頓の漢帝国制覇により漢の美女が彼に首ったけ話)
但し、このお話は中国特有の歪曲事。
劉邦軍が完膚無きまで冒頓軍に敗北した事実を「秘」したのです。
ここは、冒頓単于の「太っ腹」を司馬遷が示唆したと考える箇所では。
続く。
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