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2020年5月23日 (土)

冒頓単于が匈奴を大強国に 723

史記 巻百十一 匈奴列伝 第五十
「既帰西撃走月氏 南并楼煩 白羊河南王 侵燕代
 悉復収秦所使蒙恬所奪匈奴地者 与漢関故河南塞
 至朝那膚施 遂侵燕代 中略
 是時漢兵与項羽相距 中国罷於兵革 以故冒頓得自彊 控弦之士
 三十余万 自淳維以至頭曼千有余歳 時大時小 別散分離 尚矣
 其世伝不可得而次云 然至冒頓而匈奴最彊大 尽服従北夷
 而南与中国為敵国 其世伝国官号乃可得而記云」
(上記訓読 国立国会図書館「和訳史記列伝 下巻」

東胡を征服した冒頓単于は
返す刀で西域の「月氏」部族征圧に乗り出します。
「月氏」は匈奴軍に抗しきれずより西、及び、南西へ敗走。
*月氏
中国、春秋時代から秦・漢代にかけて、
中央アジアで活躍した遊牧民族。
トルコ系、イラン系、またはチベット系ともいわれる。
紀元前三世紀頃モンゴル高原西部を支配したが、
紀元前二世紀ごろ匈奴(きょうど)に追われて、
主力はイリ地方からさらにアフガニスタン北部に移り、
大月氏国を建てた。(現在のカザフスタン・キルギス東部地域)
甘粛地方にとどまったものを小月氏という。
(日本国語大辞典 小学館)
月氏が遊牧していた土地を獲得した冒頓は次に南を目指します。
南のオルドス地域を遊牧地としていた
「楼煩(ろうはん)」・「白羊」部族(オルドス地域)は冒頓に服従。
更に、「燕」・「代」にも侵略。
「秦」王朝の将軍、「蒙恬(?~210)」に奪われた匈奴の土地を
悉く取り返し、「漢」王朝の「故河南塞」を「関」とし、
朝那(現在の寧夏回族自治区)・膚施県(現在の陝西省楡林市南部)
迄侵食、遂に「燕」・「代」を侵食する事に。
*燕・・河北省北部から東北地方南部地域
*代・・山西・河北省の辺境地域
この時期はちょうどB.C.201秦の始皇帝が没し、
項羽と劉邦(後の漢皇帝)との激しい戦闘中の狭間。
(B.C.206~B.C.202楚漢戦争) こちらの経緯は下記でご確認を。

「項羽 鉅鹿の戦いに勝利」
「劉邦登場 張良との邂逅」
「劉邦は武関 項羽は函谷関」
「項羽 孫子兵法 鉅鹿の戦いに活用」
「劉邦vs.項羽 鴻門の会」
「西楚の覇王 項羽」
「項羽 虞美人とお別れ」
「史記 項羽本紀原文 烏江」
「西楚覇王 項羽 絶命」
「烏江亭の思慮不足で項羽自害」
「漢帝国成立 劉邦 武帝 司馬遷」

匈奴の冒頓単于は各遊牧民族を束ね、大強国を造り上げたのです。
 続く。

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