匈奴 モンゴル大草原遊牧民族 717
(西)晋王朝滅亡(316年11月)は
司馬懿一族同士の権力闘争による弱体化もさることながら、
最終的に止めを刺したのは「匈奴」軍でした。
「匈奴」につきましては「司馬遷の「太史公書=史記」執筆成立」で
ほんの少し触れました。
匈奴はモンゴル大草原を「羊」等と共に生活した遊牧民族と。
「史記」に匈奴の記述があります。
巻百十一 匈奴列伝 第五十
「匈奴 其先祖夏后氏之苗裔也 曰淳維 唐虞以上有山戎 獫狁 葷粥
居于北蛮 随畜牧而転移 其畜之所多則馬牛羊 其奇畜則橐駞
驢驘駃騠騊駼騨騱 逐水草遷徙 毋城郭常処耕田之業
然亦各有分地 毋文書 以言語為約束 児能騎羊 引弓射鳥鼠
少長則射狐兔 用爲食 士力能毋弓 尽爲甲騎 其俗 寬則隨畜
因射獵禽獸為生業 急則人習戦攻以侵伐 其天性也 其長兵則弓矢
短兵則刀鋋 利則進 不利則退 不羞遁走 苟利所在 不知礼義
自君王以下 咸食畜肉 衣其皮革 被旃裘 壮者食肥美
老者食其余 貴壮健 賤老弱 父死 妻其後母 兄弟死
皆取其妻妻之 其俗有名不諱 而無姓字」
以上は
国立国会図書館 電子図書館蔵書 「和訳史記列伝 下巻」にて
訓読されていますのでご確認下さい。
史記によると匈奴は「夏后」の末裔とされています。
しかしながら、司馬遷が匈奴を悪く思っていなかった為
無理に末裔にしたのではないかと思われますが・・・・・?
夏后につきましては
「華僑・華商ネットの魁け夏(華)人」
「龍と王権威(力)との融合」で記しました。
夏王朝(夏后)は推定年代B.C.2000頃~B.C.1600頃とされています。
又、匈奴と云う呼称
「旬奴といった称謂が戦国期にはなお存在しなかった」
*称謂・・呼び名、名称
*戦国期・・B.C.403~B.C.221 始まりは諸説有り
(京都大學文學部研究紀要 第45号
「史記匈奴列伝疏証 : 上古から冒頓単于まで」P79 吉本道雅著)
と吉本道雅氏は研究論述されています。
きっと以て、
前漢(B.C.206~A.D.8)の
司馬遷(B.C.145or B.C.135?~B.C.87orB.C.86?)が生きていた時代以前、
漢帝国より北方に住まう大草原遊牧民族に対する蔑称だったのでは。
「漢帝国成立 劉邦 武帝 司馬遷」 続く。
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