賈后 庶民出の張華を重用 715
賈南風(賈后)さんに覚えめでたく、昇進を果たした張華。
しかしながら、
張華が晋朝の要職に就けたのは才能だけではなかったのです。
彼が庶民出身、
なおかつ賈后さん一族権力者達には風刺・諫言するものの
権力奪取策謀等は露程にも思ってなかったから、
賈后の縁戚で賢明な「裴頠(267~300)」も張華を評価していたとか。
これらの事から賈后も彼を重用したと。
以上の内容は下記に。
「賈謐與后共謀 以華庶族 儒雅有籌略 進無逼上之嫌 退為衆望所依
欲倚以朝綱 訪以政事 疑而未決 以問裴頠 頠素重華 深賛其事
華遂尽忠匡輔 弥縫補闕 雖当暗主虐後之朝 而海内晏然
華之功也 華惧后族之盛 作女史箴以為諷 賈后雖凶妒
而知敬重華」
(晋書 巻三十六 列伝第六 衛瓘 張華)
とは云え、賈后さん一族も前政権の楊一族と同じ穴の狢(むじな)。
権力保持者の大概は時の経過に伴い腐敗する事、必定。
特に賈后さん(257~300)は「閨事(ねやごと)」が大好きだったとか。
イケメン官吏をたらし込みベッドイン、
更に、
街中の美少年までも「簏箱(竹箱)」に入れ宮中に潜り込ませる始末。
一度の人生を大いにしっかりと楽しまれた素敵な女性?
但し、「正史」にわざわざ記述するものでもないと思いますが。
ひょっとしたら、殿方(男性)目線の嫉妬なのでは?
それ故、政務を司った張華らは大変ご苦労なされた筈。 続く。
余計なお世話とも思われますが美少年宮中潜入箇所を
「(賈)后遂荒淫放恣 與太医令程拠等乱彰内外 洛南有盗尉部小吏
端麗美容止 既給塚役 忽有非常衣服 衆咸疑其窃盗 尉嫌而弁之
賈后疏親欲求盗物 往聴対辞 小吏云 先行逢一老嫗 説家有疾病
師卜云宜得城南少年厭之 欲暫相煩 必有重報 於是随去 上車下帷
内簏箱中 行可十余里 過六七門限 開簏箱 忽見楼闕好屋
問此是何処 云是天上 即以香湯見浴 好衣美食将入 見一婦人
年可三十五六 短形青黒色 眉後有疵 見留数夕 共寝歓宴
臨出贈此衆物 聴者聞其形状 知是賈后 慚笑而去 尉亦解意」
(晋書 巻三十一 列伝第一 后妃上)
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