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2020年3月14日 (土)

賈后政権奪取に貢献 張華 713

290年4月司馬衷は皇帝位、奥様の賈南風さんは皇后に。

「武帝崩 是日 皇太子即皇帝位 大赦 改元為永熙
尊皇后楊氏曰皇太后 立妃賈氏爲皇后」
(晋書 帝紀第四 恵帝)

武帝(司馬炎)の二番目の皇后、楊芷(258~292)は皇太后に。
最初の皇后は楊艶(238~274)さんで司馬衷の生母、楊芷は、はとこ。

三国時代統一は先々週お話ししました通り、
司馬炎は女性寵愛の日々で、
政治は楊芷の父、楊駿と楊一族が牛耳っていました。

「帝常疑太子不慧」(晋書 巻三十一 列伝第一 后妃上)

武帝は常々、
司馬衷(晋朝恵帝)を「不慧(智恵無し)」と疑っていましたが
これが事実だった模様です。
従って、賈南風(賈后)さんは頑張っちゃいます。
皇后になる前から彼女にとって義母、楊芷一族の専横に不満を持ち、
時あらば権力奪回を企図していました。
晴れて彼女は皇后になり、実行に移します。
291年3月楊一族を粛清、政権奪取(クーデター)に成功。
同年6月政敵を悉く追放へ。
この賈后の政敵排除に貢献したのが
幼くして孤児になり貧乏生活を余儀なくされていたものの
彼の才能・礼節・義心・器量・見識を認めた方々のお陰で
やがて中央官僚となった冷静・沈着・聡明な張華だったのです。

「張華 字茂先 范陽方城人也 父平 魏漁陽郡守 華少孤貧 自牧羊
 同郡盧欽見而器之 郷人劉放亦奇其才 以女妻焉 華学業優博
 辞藻温麗 朗贍多通 図緯方伎之書莫不詳覧 少自修謹
 造次必以礼度 勇於赴義 篤于周急 器識弘昿 時人罕能測之
 初未知名」
(晋書 巻三十六 列伝第六 衛瓘 張華)  

詳しくは、国立国会図書館 電子図書館蔵書
「六朝文人伝「張華」 ― 『晋書』張華伝―」(佐藤利行氏)
をご確認下さい。 続く。

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