邪馬壹国 邪馬臺国 表記違い 706
今週は「張政 邪馬壹国に長期間滞在」で触れました
表記文字「壹」と「臺」について考えてみます。
三国志(三国志魏書 魏三十(倭人伝)) 陳寿
「倭人在帯方東南大海之中~南至邪馬壹国 女王之所都」(壹→壱)
後漢書(後漢書東夷列伝) 范曄
「倭在韓東南大海中~大倭王居邪馬臺国 楽浪郡徼」(臺→台)
陳寿さんは
倭女王、卑弥呼(ヒミコ)さんが住まう地域(国)を「邪馬壹国」と表記。
ここで、
単純疑問ですが卑弥呼さんらはご自分の住まう地域をご自分達で
果たして、「邪馬壹国(ヤマヰコク)」と呼称していたのでしょうか?
これだけではありません。
邪馬壹国以外に少なくても魏・晋王朝と行き来があったとされている
他の29カ国の固有名称についても同じ事が云えます。
「今使訳所通三十国」で国名をご確認下さい。
倭人集団が住まう地域違いで便宜的に呼称していたか、或いは、
渡来商人さんから何らかの「入れ知恵」があったのやも知れません。
いずれにせよ、名称存在を前提とすると、
陳寿さんが張政さんらから聞き及んだ「音」を又聞きし、
一文字づつ「漢字」に置き換えて記述したと考えられます。
漢字が「表意文字」でありながら「表音文字」として。
但し、
現在読みとして定着している
ヒミコ・ヤマヰコク読み音が
当時の魏・晋の都、洛陽地域音とは断定できないのです。
何せ、かの国は広く漢字発音が多種多様だからです。
次に、三国志写本時誤記説があります。
単純に「臺(台)後漢書」を「壹(壱)三国志」と書き間違えた説ですが、
こちらは基本的にあり得ません。
再度、下記の三国志原文をご覧頂けたらおわかり頂けます。
「張政 邪馬壹国に長期間滞在」 続く。
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