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2020年1月25日 (土)

邪馬壹国 邪馬臺国 表記違い 706

今週は「張政 邪馬壹国に長期間滞在」で触れました
表記文字「壹」と「臺」について考えてみます。

三国志(三国志魏書 魏三十(倭人伝)) 陳寿
「倭人在帯方東南大海之中~南至邪馬壹国 女王之所都」(壹→壱)

後漢書(後漢書東夷列伝) 范曄
「倭在韓東南大海中~大倭王居邪馬臺国 楽浪郡徼」(臺→台)

陳寿さんは
倭女王、卑弥呼(ヒミコ)さんが住まう地域(国)を「邪馬壹国」と表記。
ここで、
単純疑問ですが卑弥呼さんらはご自分の住まう地域をご自分達で
果たして、「邪馬壹国(ヤマヰコク)」と呼称していたのでしょうか?
これだけではありません。
邪馬壹国以外に少なくても魏・晋王朝と行き来があったとされている
他の29カ国の固有名称についても同じ事が云えます。
「今使訳所通三十国」で国名をご確認下さい。
倭人集団が住まう地域違いで便宜的に呼称していたか、或いは、
渡来商人さんから何らかの「入れ知恵」があったのやも知れません。
いずれにせよ、名称存在を前提とすると、
陳寿さんが張政さんらから聞き及んだ「音」を又聞きし、
一文字づつ「漢字」に置き換えて記述したと考えられます。
漢字が「表意文字」でありながら「表音文字」として。
但し、
現在読みとして定着している
ヒミコ・ヤマヰコク読み音が
当時の魏・晋の都、洛陽地域音とは断定できないのです。
何せ、かの国は広く漢字発音が多種多様だからです。
次に、三国志写本時誤記説があります。
単純に「臺(台)後漢書」を「壹(壱)三国志」と書き間違えた説ですが、
こちらは基本的にあり得ません。
再度、下記の三国志原文をご覧頂けたらおわかり頂けます。
「張政 邪馬壹国に長期間滞在」 続く。

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2020年1月18日 (土)

後漢書の倭国に対する改竄 705

遅ればせながら、「迎春」。
皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事。
本年も相変わらず宜しくお願い致します。

それでは、昨年からの続きです。
陳寿さんがお書き下さった「三国志魏書 魏三十(倭人伝)」の後に
「倭国・倭人」が登場する中国王朝正史は
「後漢書(東夷列伝、光武帝紀等)」になります。

これらにつきましては、
「後漢書東夷列伝 倭国関連記述」
「57年・107年奴国・倭国朝賀参列」 をご確認下さい。

以前お話ししましたように
「三国(魏・蜀・呉)志」 陳寿(233~297)(晋)298年頃撰
「後漢書」 范曄(398~445)(南朝宋)432年以降頃撰
制作年と時系列が逆になっています。
従って、
范曄(はんよう)さんは後漢時代の記述を
陳寿さんの「三国志」を手本として
時代考証から修正・加筆・省略等を施しています。
例えば、倭国の所在地
後漢書
「倭在韓東南大海中 依山島為居 凡百余国 自武帝滅朝鮮
使駅(訳)通於漢者三十許国 国皆称王 世世伝統」
三国志(三国志魏書 魏三十(倭人伝))
「倭人在帯方東南大海之中 依山島為国邑 旧百余国 漢時有朝見者
 今使訳所通三十国 従郡至倭」
漢王朝時代に「帯方郡」が存在していませんので
范曄さんは「韓国」と改めています。
又、魏・蜀・呉時代に「使訳(使者・通訳)」の交流があった倭人国が
30国としているのに対し、後漢時代に30余国としてしまっています。
范曄さんの改竄には恐れ入ってしまいます。 続く。

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