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2019年11月 9日 (土)

礼儀を重んじる倭人達 700

「大倭」、及び、「一大率」の記述の後に、
「下戸与大人相逢道路 逡巡入草 伝辞説事 或蹲或跪 両手拠地
 為之恭敬 対応声曰噫 比如然諾」
*然諾=承諾 *噫(アイ)=嗚呼(ああ)
と続き、前と何の脈絡がない「倭人の礼儀を重んじる」内容に。
目上へ方と道路で逢った際は脇に逸れる。
目上へ方に思いを伝える、或いは、もの申す際は
跪(ひざまず)き両手を地につけ、慎み敬い申し上げる態度に。
目上へ方が「噫」を発した際は「承諾」になるとか。
(不承諾の場合は無言だったのかしら?)
ここの「目上へ方」とは
父母・伯(叔)父伯(叔)母・祖父母・母系家族の長(おさ)、
更に、納税者と徴税機関・管理官の存在から上司。
当然、卑弥呼さん、及び、彼女の弟さんは最高上司だったのでは。
陳寿の描く「倭人像」を信じるなら
既に、かの時代の「倭人達」は
「礼儀正しい」振る舞いをされていたと云う事になります。
少なくとも、238年頃の倭国では「人間関係円滑化」振る舞い
が定着していた事になります。
基本的に「血縁関係の礼」は倭国のみならず世界各地で
「人類誕生」より自然に備わった「人間本能」であった筈。
しかし、「食糧保存」が可能な「農畜産業生産力」が高まり
「力(腕力、軍事力)、及び、富」の格差が生じた頃合いより
「人間上下関係」が形成され「世間的な礼」が必要になったのでは。
陳寿情報では上司に対する「空気読み」・「忖度」等々
どのレベル迄、浸透していたかは不明ですが 
「気遣い・心配り」は「いつの世も常」であったと考えます。 続く。

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