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2019年11月16日 (土)

卑弥呼時代の世間的な礼 701

先週触れました卑弥呼時代の「世間的な礼」の存在。
血縁関係を除き、「力(腕力、軍事力)、及び、富」の格差により
必ず「人間上下関係」が生じます。
「力(腕力、軍事力)、及び、富」を持つ者は「上」。
「力(腕力、軍事力)、及び、富」を持たざる者は「下」。
その人間関係を円滑にする為に「礼(礼儀)」行為が
自ずと発生してしまいます。
そして、問題になるのが、「礼(礼儀)」行為に
「敬意」・「真心」・「誠実」がいかほど内在するかと云う事です。
現在のサラリーマン社会では「年功序列制」が崩壊した為
会社共同体意識が希薄となりました。
故に、上司への「礼」は「敬意」・「真心」・「誠実」が伴わない
「形」のみとなってしまっています。
これは右肩上がり日本経済構造が終焉した事に依ります。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴わない「形」のみの「礼(礼儀)」行為は
「心の偽善情況」を来す為、心と体に「ストレス」が負荷されます。
この病理が現在の日本社会に蔓延してしまっている現況です。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴う「礼(礼儀)」行為には
決して、「ストレス」は負荷されません。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴う他者への「忖度・空気読み・思慮」は
美しく、麗しい世を生むと考えます。
あの「遊川和彦」さんが「同期の桜」で未だに訴えておられます。
「一生信じ合える仲間を作る事
 その仲間と沢山の人を幸せにする◯◯を作る事
 わたしは自分にしかできない事をやります」と。
やはり、「美しく・麗しい世」はもう無理なのでしょうか?
卑弥呼時代の「世間的な礼」にはきっと以て
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴っていたのでは無いかと思えるのです。
 続く。

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