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2019年11月30日 (土)

魏王朝 卑弥呼に豪華贈答品 703

一方、喜びに沸く魏王朝から卑彌呼さんへのプレゼントは
親魏倭王
金印紫綬
(卑彌呼さんを「倭国女王」と認証)
絳地交龍錦五匹 絳地縐粟?十張 紺青五十匹 
(卑彌呼さんからの献上品に対する返礼品)
これだけでも十分な贈答品と思えるのですが
魏王朝は更に卑彌呼さんに
紺地句文錦三匹 細班華?五張 白絹五十匹 金八両
五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠鈆丹各五十斤
をプレゼント、これらは卑彌呼さんが大好きな品々だったとか。
これって、遣使の難升米、或いは、牛利が魏の役人に情報提供?
五尺刀は彼女がお好きだったとは思われませんが?
刀を除けば確かに豪華なお召し物素材、お化粧道具ですから
十分頷けます。
但し、
難升米・牛利が魏のお役人に彼女の嗜好品を伝えていたとは
決して思われません。
きっと以て、魏王朝時代の女性が頂いたら「胸きゅん」の品々では?
特に、白絹五十匹・銅鏡百枚・真珠鈆丹各五十斤は
卑彌呼さんお一人で使う分量にしては多過ぎます。
この魏王朝の大盤振る舞いは魏王朝の経済的・文化的優位性強調と
魏王朝に対する倭国の女性達への人気取り策略とも・・・・・。
又、男性遣使の難升米・牛利達の遠路訪問を労(ねぎら)い
「官職名(率善中郎将・率善校尉)」、及び、「証明章(銀印青綬)」を
与えています。
彼らにとって、魏王朝官職名授与は嬉しかったとは思われませんが
魏王朝にとって、魏王朝権威付けにはきっと役立ったのでしょう。
 続く。

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2019年11月23日 (土)

魏王朝 倭女王卑弥呼へ詔書 702

礼儀を重んじる倭人達に続くのが以前お話しした
「卑弥呼238/6帯方郡へ使者派遣」に。
ここでは
「女王国 東渡海千余里 復有国皆倭種 又有侏儒国在其南
 人長三四尺 去女王四千余里 又有裸国 黒歯国
 復在其東南船行一年可至 参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連
 周旋可五千余里」
を省きました。なぜなら、
この地理は邪馬壹国に長期滞在した「張政」さん
倭人のどちら様から聞いた情報が元と思われますが
非常に不確かだからです。
しかし238年12月に魏王朝が倭女王卑弥呼さんへ「詔書」した内容は
陳寿が格納されていた文献資料からの引用になりますので確かです。

「其年(238年)十二月 詔書報倭女王曰
 制詔親魏倭王卑彌呼帯方太守劉夏 遣使送汝大夫難升米
 次使都巿牛利 奉汝所献男生口四人 女生口六人班布二匹二丈以到
 汝所在踰遠 乃遣使貢献 是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王
 仮金印紫綬 装封付帯方太守仮授 汝其綏撫種人 勉為孝順
 汝来使難升米 牛利渉遠 道路勤労 今以難升米為率善中郎将
 牛利為率善校尉 仮銀印青綬 引見労賜遣還 今以絳地交龍錦五匹
 (臣松之以為地応為綈 漢文帝着皁衣謂之弋綈是也 此字不体
  非魏朝之失 則伝写者誤也)
 絳地縐粟?十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 荅汝所献貢直
 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華?五張 白絹五十匹 金八両
 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠鈆丹各五十斤
 皆装封付難升米牛利還到録受
 悉可以示汝国中人 使知国家哀汝 故鄭重賜汝好物也」

この箇所がその全文です。
卑彌呼さんからの献上品は
「男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈」
107年倭国王帥升等の献上品は
「生口百六十人」
ですから量的には非常に少な目です。
但し、
魏の明帝にとって238年、後の晋高祖、司馬懿による公孫淵制圧成功
がビッグイベントだった為、
いち早く海を渡りお祝いに駆けつけてくれた「倭国」の訪問
が重要だったのです。 続く。

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2019年11月16日 (土)

卑弥呼時代の世間的な礼 701

先週触れました卑弥呼時代の「世間的な礼」の存在。
血縁関係を除き、「力(腕力、軍事力)、及び、富」の格差により
必ず「人間上下関係」が生じます。
「力(腕力、軍事力)、及び、富」を持つ者は「上」。
「力(腕力、軍事力)、及び、富」を持たざる者は「下」。
その人間関係を円滑にする為に「礼(礼儀)」行為が
自ずと発生してしまいます。
そして、問題になるのが、「礼(礼儀)」行為に
「敬意」・「真心」・「誠実」がいかほど内在するかと云う事です。
現在のサラリーマン社会では「年功序列制」が崩壊した為
会社共同体意識が希薄となりました。
故に、上司への「礼」は「敬意」・「真心」・「誠実」が伴わない
「形」のみとなってしまっています。
これは右肩上がり日本経済構造が終焉した事に依ります。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴わない「形」のみの「礼(礼儀)」行為は
「心の偽善情況」を来す為、心と体に「ストレス」が負荷されます。
この病理が現在の日本社会に蔓延してしまっている現況です。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴う「礼(礼儀)」行為には
決して、「ストレス」は負荷されません。
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴う他者への「忖度・空気読み・思慮」は
美しく、麗しい世を生むと考えます。
あの「遊川和彦」さんが「同期の桜」で未だに訴えておられます。
「一生信じ合える仲間を作る事
 その仲間と沢山の人を幸せにする◯◯を作る事
 わたしは自分にしかできない事をやります」と。
やはり、「美しく・麗しい世」はもう無理なのでしょうか?
卑弥呼時代の「世間的な礼」にはきっと以て
「敬意」・「真心」・「誠実」が伴っていたのでは無いかと思えるのです。
 続く。

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2019年11月 9日 (土)

礼儀を重んじる倭人達 700

「大倭」、及び、「一大率」の記述の後に、
「下戸与大人相逢道路 逡巡入草 伝辞説事 或蹲或跪 両手拠地
 為之恭敬 対応声曰噫 比如然諾」
*然諾=承諾 *噫(アイ)=嗚呼(ああ)
と続き、前と何の脈絡がない「倭人の礼儀を重んじる」内容に。
目上へ方と道路で逢った際は脇に逸れる。
目上へ方に思いを伝える、或いは、もの申す際は
跪(ひざまず)き両手を地につけ、慎み敬い申し上げる態度に。
目上へ方が「噫」を発した際は「承諾」になるとか。
(不承諾の場合は無言だったのかしら?)
ここの「目上へ方」とは
父母・伯(叔)父伯(叔)母・祖父母・母系家族の長(おさ)、
更に、納税者と徴税機関・管理官の存在から上司。
当然、卑弥呼さん、及び、彼女の弟さんは最高上司だったのでは。
陳寿の描く「倭人像」を信じるなら
既に、かの時代の「倭人達」は
「礼儀正しい」振る舞いをされていたと云う事になります。
少なくとも、238年頃の倭国では「人間関係円滑化」振る舞い
が定着していた事になります。
基本的に「血縁関係の礼」は倭国のみならず世界各地で
「人類誕生」より自然に備わった「人間本能」であった筈。
しかし、「食糧保存」が可能な「農畜産業生産力」が高まり
「力(腕力、軍事力)、及び、富」の格差が生じた頃合いより
「人間上下関係」が形成され「世間的な礼」が必要になったのでは。
陳寿情報では上司に対する「空気読み」・「忖度」等々
どのレベル迄、浸透していたかは不明ですが 
「気遣い・心配り」は「いつの世も常」であったと考えます。 続く。

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2019年11月 2日 (土)

管理官の大倭と一大率 699

「租賦を収む 邸閣有り 国国は市有り 有無を交易す」に続き、
「使大倭監之」(大倭をして之を監せしむ)と記述されています。
租税、及び、市(市場)の管理は「大倭」が仕切っていたと。
この「大倭」は役職なのか役名なのかは不明ですが各国の管理権限を
持っていたと思われます。
更に、
「自女王国以北 特置一大率検察 諸国畏憚之」
(女王国より以北は 特に一大率を置き検察し 諸国はこれを畏憚す)
*畏憚・・おそれて気をつかい、遠慮すること。
(日本国語大辞典 小学館)
ここの「以北」は疑問ですが、
斯馬国 已百支国 伊邪国 都支国 彌奴国 好古都国 不呼国
姐奴国 対蘇国 蘇奴国 呼邑国 華奴蘇奴国 鬼国 為吾国 鬼奴国
邪馬国 躬臣国 巴利国 支惟国 烏奴国 (奴国)
の各国に対する「検察(査察)」を「一大率」が担当していたと。
続いて、
「常治伊都国於国中有如刺史 王遣使詣京都
 帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露
 伝送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」
*差錯
いり乱れること。くい違うこと。転じて、誤り。間違い。手違い。
この「一大率」は「伊都国」に常駐。
(一大率も役職なのか役名なのかは不明)
一大率はまるで「魏・晋」に於ける「刺史(監察官)」のようであったと。
又、一大率は「王遣使」の洛陽、帯方郡、韓国出張、及び、
「(帯方)郡使」が倭日した際、港へ赴き手荷物検査を行った。
特に郡使の「文書・賜遺之物(贈答品)」は女王へ上申(ご連絡)。
手違いは決して許されなかったと。
かの(否、どの)時代の「管理官」もミスは以ての外だった。 続く。

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