倭人の国々に法が存在 696
陳寿は倭人を「越(国)人」の末裔と確信していたので無理矢理、
倭人の国々の習俗をそれに則り記述している感があります。
しかしながら、
倭人伝に記されている習俗以外の風習も存在していた筈です。
(例えば、縄文人末裔・アイヌ人の方々等々)
従いまして、倭人伝で語られる
温暖な気候、一年中生野菜を食し、裸足、父母兄弟は各部屋生活、
朱赤顔料で化粧、食器有り、手で食す。
棺のみで土葬、殯(もがり)期間10日程で禁肉食、喪主嗚咽し、
弔問客は歌舞飲酒、埋葬後は家族みんなで沐浴する。
「魏(中国)」に渡航する際、「持衰(じさい)=人身御供?)」を同行。
真珠・青玉を産出、山には鉛丹あり、色んな樹木、竹も色々、
橘・山椒等あるも風味付けせず、黒雉等が生息する。
政(まつりごと)では亀甲占いをする。
会合は無礼講、お酒をこぞって嗜(たしな)む。
大人への敬意は拍手、倭人は80~100歳の長寿。
大人は4~5人妻帯、蓄え少ない方でも2~3人妻帯。
婦人は操を守り嫉妬せず。倭人は窃盗せず、訴訟も少ない。
法を犯す者に対し、軽い際は妻子を没し、重い際は一家・一族を没す。
尊卑・序列あり、上級者に服する。
これらの子細は「邪馬壹国」に長期間、滞在された
帯方郡役人の張政さん等らの情報も一部含まれていると思います。
しかし、陳寿はそれらを取捨選択、脚色、編集していると思われるので
全てを鵜呑みにする事はとてもできません。
又、情報が整理整頓されて記載されていない事実も否めません。
気候・食生活・埋葬・産出物・木々種類・寿命・婚姻・女性の貞操観念
・大らかさ等々を脇に置くと
卑弥呼を女王と戴く倭人の国々に「法・刑罰」の存在が異色です。
一体、いかな「法」で人々を「規制」し、誰が裁いていたのでしょうか?
「政」は卑弥呼の弟が仕切っていたとの事から彼になるのでしょうか?
興味を抱かせるところですが、残念ながら情報欠落です。 続く。
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