陳寿 倭人を越人の末裔と 695
「有無する所 儋耳・朱崖(=中国の海南島)と同じ。」とは。
先週の「所有無与儋耳朱崖同」をご確認いただきますと分かりますが、
海南島と倭人の国々との「有無」は決して同じではありません。
それにも関わらず、陳寿はなぜ「同じ」と云い切ったのでしょうか?
確かに、「衣装」・「農作物」・「養蚕紡績」は似寄りです。
しかし、「動物(家畜?)」・「武器等」は異なっています。
陳寿は倭人の国々の所在地を「会稽 東冶之東 ⇒ 沖縄本島近辺」に
そして、倭人は「海南島」から舟で沖縄本島近辺へ上陸、
住み着いたと結論づけたかったに違いありません。
もう一つ気になるのが
「男子無大小皆黥面文身 略 夏后少康之子封於会稽
断髪文身以避蛟龍之害
今倭水人好沈没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽
後稍以為飾 諸国文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差」
この「男子無大小皆黥面文身」の文言。
「倭人男性は老若問わず皆さん顔、及び体に『入れ墨』をしていた。」
更に、「越(国)=会稽」の風俗であった「断髪文身」は
「避蛟龍之害(蛟龍の害を避ける)」為、頭をショートカットにし、
体に入れ墨を施したと説明までも付与されています。
*蛟龍(こうりょう)
中国古代の想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会えば、
それに乗じて天上に昇って龍になるとされる。みずち。
(日本国語大辞典 小学館)
そして、「今(陳寿時代以前)」「倭」の漁業従事者は
素潜りで「魚・蛤」を捕獲することが好きで、
又、「文身」は「大魚・水禽(水鳥)」が「厭(嫌い避ける)」。
追って、「後(陳寿倭人伝執筆時代)」はだんだん装飾性を帯びる。
倭人の国々は入れ墨でそれぞれ差異表示をし、
ヒエラルキー表現をも兼ねていたそうなのです。
この念を押す記述で
陳寿は倭人を「越(国)人」の末裔と確信していた事に。 続く。
確かに、時代は未確定とは云え、倭人の顔に入れ墨が!
「亀塚黥面遺跡(愛知県安城市東町亀塚)」 (みかわこまち)
「人面文壺形土器」が確認できます。
この男性かなりおしゃれ?でピアスもつけています。
| 固定リンク
コメント