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2019年10月26日 (土)

自然の姫神・天女 卑弥呼 698

「統一部族連合国(呪術宗教的遺制付)」の倭人の国々。
陳寿の倭国伝では卑弥呼さんを女王とする政治組織形態は
「自ずと」・「ひとりでに」・「自然に」出来上がった感があります。
しかし、卑弥呼さんの描写で「「鬼道に事(つか)え」」が気になります。
「鬼道」と云う語句を「張魯母、及び張魯」で陳寿は使用しています。

「張魯母始以『鬼道』 658」
「張魯母始以鬼道 又有少容 659」
「張魯 漢中にて布教活動 660」
「鬼道が 巴・漢中を制する 661」

をご確認下さい。
こちらの「鬼道」では一時、「張魯の母」が長(おさ)になっていますが
基本的には息子の「張魯」が「鬼道(宗教)の頭目」です。
一方、倭人のリーダー、卑弥呼さんは
倭人の国々と統率する立場であり、「呪術宗教」も司っているのです。
否、「呪術宗教」を掌っていたので、倭人の国々の束ねていたのです。
重要な事は卑弥呼さんが「女性」である事。
従って、「張魯母、及び張魯⇒鬼道」と「卑弥呼さん⇒鬼道」とは
全く、似て非なるものと考えます。
倭人の皆さんは卑弥呼さんを女王と云うよりも
「自然の姫神・天女」と捉えていたと思えるのです。
倭人の皆さんは
「自然」が恵み(生命果実)を与えて下さる如く
「女性」がこの世に生命を生み出す現象に
驚異・畏怖・畏敬を覚え続けいたのではないでしょうか?
そして、この「母性共同体」の「遺制」は多大な「武力(軍事力)」を
必要とする政治権力の世を迎える平安時代末期頃以前迄、
(ex.通い婚など)脈々と受け継がれたと考えます。
否、今の世もきっとそうなのでは・・・・・。 続く。

尚、先週紹介しました門田誠一(仏教大学)さんが「鬼道」に関して
詳しく分析されています。
「卑弥呼の鬼道に関する歴史考古学的検討」

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2019年10月19日 (土)

倭人の国々に租賦と邸閣 697

「法」の存在の次に下記の様に記されています。

「收租賦 有邸閣 国国有市 交易有無」
「租賦を収む 邸閣有り 国国は市有り 有無を交易す」
*租賦・・田畑の租税
*邸閣・・米倉

これにより倭人の国々には
1 農作物を「税」として徴収する制度とそれを「保管する倉」の存在
2 各国々に「市」があり「交易」をしていた事実
が認められます。
曲がりなりにも「市場経済」・「税制度」と「法」が確立していた事から、
かの時代の倭人の「国」は吉本隆明さんがおっしゃるところの
「<国家>とよびうるプリミティヴな形態は、
 村落社会の<共同幻想(=上部構造)>がどんな意味でも、
 血縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。 中略
 同母の<兄弟>と<姉妹>の間の婚姻が、
 最初に禁制になった村落社会では
 <国家>は存在する可能性をもったということができる。」
(共同幻想論 P239~240 吉本隆明 角川文庫)
*上部構造
(ドイツ Überbau の訳語) 社会の経済的な土台である下部構造の上
に、下部構造による制約を受けて形成されるもの。政治的・法律
的・哲学的・道徳的・美的・宗教的な社会的観念ないし意識形態
(=イデオロギー)と、それに対応する組織や制度。いったん成立
すると、下部構造に逆に作用して、その発展を早めたり遅らせた
りする役割を果たす。 (日本国語大辞典 小学館)
この吉本さんが云う「国家」時代を既に、脱し
かなり高度な「国家共同体」を形成していた事になります。
陳寿は自国(魏・晋)に代表される「覇権国」とは全く異なるものの
「倭人の国々を邪馬壹国を中心とする
 統一部族連合国(呪術宗教的遺制付)」であったと述べている事に。
「呪術宗教的遺制付」ってとても味わい深く、
「日本人の感性・文化の源」と思われませんか? 続く。

尚、「邸閣」について、
「魏志倭人伝にみえる「邸閣」の同時代的意味」にて
門田誠一(仏教大学)さんが詳しく論述されています。

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2019年10月12日 (土)

倭人の国々に法が存在 696

陳寿は倭人を「越(国)人」の末裔と確信していたので無理矢理、
倭人の国々の習俗をそれに則り記述している感があります。
しかしながら、
倭人伝に記されている習俗以外の風習も存在していた筈です。
(例えば、縄文人末裔・アイヌ人の方々等々)
従いまして、倭人伝で語られる

温暖な気候、一年中生野菜を食し、裸足、父母兄弟は各部屋生活、
朱赤顔料で化粧、食器有り、手で食す。
棺のみで土葬、殯(もがり)期間10日程で禁肉食、喪主嗚咽し、
弔問客は歌舞飲酒、埋葬後は家族みんなで沐浴する。
「魏(中国)」に渡航する際、「持衰(じさい)=人身御供?)」を同行。
真珠・青玉を産出、山には鉛丹あり、色んな樹木、竹も色々、
橘・山椒等あるも風味付けせず、黒雉等が生息する。
政(まつりごと)では亀甲占いをする。
会合は無礼講、お酒をこぞって嗜(たしな)む。
大人への敬意は拍手、倭人は80~100歳の長寿。
大人は4~5人妻帯、蓄え少ない方でも2~3人妻帯。
婦人は操を守り嫉妬せず。倭人は窃盗せず、訴訟も少ない。
法を犯す者に対し、軽い際は妻子を没し、重い際は一家・一族を没す。
尊卑・序列あり、上級者に服する。

これらの子細は「邪馬壹国」に長期間、滞在された
帯方郡役人の張政さん等らの情報も一部含まれていると思います。
しかし、陳寿はそれらを取捨選択、脚色、編集していると思われるので
全てを鵜呑みにする事はとてもできません。
又、情報が整理整頓されて記載されていない事実も否めません。
気候・食生活・埋葬・産出物・木々種類・寿命・婚姻・女性の貞操観念
・大らかさ等々を脇に置くと
卑弥呼を女王と戴く倭人の国々に「法・刑罰」の存在が異色です。
一体、いかな「法」で人々を「規制」し、誰が裁いていたのでしょうか?
「政」は卑弥呼の弟が仕切っていたとの事から彼になるのでしょうか?
興味を抱かせるところですが、残念ながら情報欠落です。 続く。

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2019年10月 5日 (土)

陳寿 倭人を越人の末裔と 695

「有無する所 儋耳・朱崖(=中国の海南島)と同じ。」とは。
先週の「所有無与儋耳朱崖同」をご確認いただきますと分かりますが、
海南島と倭人の国々との「有無」は決して同じではありません。
それにも関わらず、陳寿はなぜ「同じ」と云い切ったのでしょうか?
確かに、「衣装」・「農作物」・「養蚕紡績」は似寄りです。
しかし、「動物(家畜?)」・「武器等」は異なっています。
陳寿は倭人の国々の所在地を「会稽 東冶之東 ⇒ 沖縄本島近辺」に
そして、倭人は「海南島」から舟で沖縄本島近辺へ上陸、
住み着いたと結論づけたかったに違いありません。
もう一つ気になるのが

「男子無大小皆黥面文身 略 夏后少康之子封於会稽
 断髪文身以避蛟龍之害
 今倭水人好沈没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽
 後稍以為飾 諸国文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差」

この「男子無大小皆黥面文身」の文言。
「倭人男性は老若問わず皆さん顔、及び体に『入れ墨』をしていた。」
更に、「越(国)=会稽」の風俗であった「断髪文身」は
「避蛟龍之害(蛟龍の害を避ける)」為、頭をショートカットにし、
体に入れ墨を施したと説明までも付与されています。
*蛟龍(こうりょう)
中国古代の想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会えば、
それに乗じて天上に昇って龍になるとされる。みずち。
(日本国語大辞典 小学館)
そして、「今(陳寿時代以前)」「倭」の漁業従事者は
素潜りで「魚・蛤」を捕獲することが好きで、
又、「文身」は「大魚・水禽(水鳥)」が「厭(嫌い避ける)」。
追って、「後(陳寿倭人伝執筆時代)」はだんだん装飾性を帯びる。
倭人の国々は入れ墨でそれぞれ差異表示をし、
ヒエラルキー表現をも兼ねていたそうなのです。

この念を押す記述で
陳寿は倭人を「越(国)人」の末裔と確信していた事に。 続く。

確かに、時代は未確定とは云え、倭人の顔に入れ墨が!
「亀塚黥面遺跡(愛知県安城市東町亀塚)」 (みかわこまち)
「人面文壺形土器」が確認できます。
この男性かなりおしゃれ?でピアスもつけています。

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