史記・漢書の倭国状況 692
「史記」 巻四十一 越王勾践世家
「越王勾践 其先禹之苗裔 而夏后帝少康之庶子也 封於会稽
以奉守禹之祀 文身断髪 披草莱而邑焉」
*夏后少康・・夏朝第6代帝とされている方
*会稽・・現在の浙江省紹興市 長江下流地域で長江下流の南一体
越王、勾践のご先祖さんは「禹之苗裔」「夏后帝少康之庶子」と。
「禹」の末裔で、夏王朝6代帝、「少康」の側妻のお子さん。
その方が会稽地区の所領を任され、この地の風俗である体に入れ墨を
施し、髪はショートカットにし、開墾に励み、この地で「禹」を祭祀した。
「禹」のお墓は「会稽山大禹陵」として現存しています。
(但し、夏后帝少康之庶子さんが「禹」を祀った場所かは不明)
「(前)漢書」 巻二十八 地理志粤地
「其君禹後 帝少康之庶子云 封於会稽 文身断髪 以避蛟龍之害 略
武帝元封元年略以為儋耳朱崖郡 民皆服布如単被 穿中央為貫頭
男子耕農種禾稲紵麻 女子桑蚕織績 亡馬与虎 民有五畜 山多麈嗷
兵則矛盾刀木弓弩 竹矢或骨為鏃」
B.C.110(元封元年) 武帝が儋耳・朱崖郡を設置
*儋耳・朱崖郡・・現在の「海南島」。
B.C.046(初元三年) 郡は廃止され海南島は放置される。
途中から読み下すと
「民皆布を服し単被の如く 中央を穿ち頭を貫く
男子は禾稲・紵麻を「種(植)」え耕農し 女子は桑蚕織績す
馬と虎亡く 民は五畜あり 山に塵嗷多し
兵は則ち矛・盾・木弓・弩 竹矢或いは骨をして鏃と為す」
ってな感じに。
*五畜・・鶏・羊・牛・狗・豚
*鏃(やじり)
続く。
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