会稽 東冶之東 指南魚は? 693
魏志倭人伝で陳寿は
「倭人」が住む国々を中国大陸地域と比定し所在地を
「計其道里 当在会稽 東冶之東」と記載しています。
「その道理を計ると
会稽郡東冶県(現在の福建省福州市)の東」と。
東冶県の真東は尖閣諸島・沖縄本島等があり、
東南では台湾・与那国島・石垣島等があります。
陳寿は「過去の文献」・「倭国に赴いた帯方郡の役人情報」等から
倭人の国々の位置関係を割り出した筈です。
この時代、「指南魚(羅針盤)」が存在しています。
*指南魚
「元祖コンパスは魚の形」(日本船舶海洋工学会)
(この「指南魚」が「指南」の語源とか。)
しかしながら、舟上は揺れるので正確に方位を計るのは無理。
凪の際、或いは、上陸後でないとだめ。
又、帯方郡の役人さん達が「指南魚」をお持ちだったかも不明。
では、どのよう考えたら良いのかしらん?
当然、今日日、スマホで位置情報は自ずと判ります。
福建省福州市 北緯26度04分 東経119度18分
沖縄県那覇市 北緯26度13分 東経127度41分
(会稽 東冶之東は沖縄に ほぼ真東でしょう。)
因みに、「都」の位置関係は下記のように。
河南省洛陽市 北緯34度39分 東経112度26分(晋の都)
大阪府 堺市 北緯34度33分 東経135度29分(仁徳帝)
奈良県桜井市 北緯34度31分 東経135度51分(箸墓古墳)
奈良県橿原市 北緯34度30分 東経135度48分(神武帝?)
(緯度の1分=1,852m=1海里 何と各都は緯度16.7㎞の差異内に。)
けれでも、かの時代、GPSなんぞなく、分かる訳がありません。
かの時代、地続きならいざ知らず、
海を隔てては正確な地理関係を把握できなかったのが実情では?
陳寿は倭人の国々を
色んな情報を駆使、その道理を考え
現在の「沖縄本島」地域にあると明らかにしたのです。
因みに、「倭国の時代」(岡田英弘著 朝日文庫)で
倭人の国々を「会稽 東冶之東」にしたのは
「孫権の呉国」の背後に「邪馬壹国」を置く政治的配慮があったと
展開されています。
しかし、「三国志 魏志倭人伝」執筆時には既に「呉国」は「西(晋)」に
滅ぼされています。(280年)
「陳寿 呉滅亡で三国志執筆」 こちらでご確認下さい。
従って、「呉国」を牽制する位置にわざわざ「邪馬壹国」を
持ってこなくてもよかったのではと考えます。 続く。
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