« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »

2019年9月28日 (土)

所有無与儋耳朱崖同 694

「(前)漢書」 巻二十八 地理志粤地によると
B.C.110(元封元年)に武帝が「海南島」を奪取、儋耳朱崖郡を設置。
それに続き、彼の地の習俗等が記述されています。

「史記・漢書の倭国状況」(こちらをご確認下さい。)

陳寿はこちらを援用し、
(前)漢書⇒海南島
「皆服布如単被 穿中央為貫頭」
魏志倭人伝⇒倭人の国々
「男子皆露紒 以木綿招頭 其衣橫幅 但結束相連 略無縫」
「婦人被髮屈紒 作衣如単被 穿其中央 貫頭衣之」
単衣・貫頭衣は皆から婦人のみへ。

(前)漢書⇒海南島
「男子耕農種禾稲紵麻 女子桑蚕織績」
魏志倭人伝⇒倭人の国々
「種禾稲紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑綿」
ここの件(くだり)は男子・婦人の分担は無くし男女平等?

(前)漢書⇒海南島
「亡馬与虎 民有五畜」
魏志倭人伝⇒倭人の国々
「其地無牛馬虎豹羊鵲」
馬・虎だけでなく、牛・豹・羊・鵲(かささぎ)も生息なし。

(前)漢書⇒海南島
「兵則矛盾刀木弓弩 竹矢或骨為鏃」
魏志倭人伝⇒倭人の国々
「兵用矛楯木弓 木弓短下長上 竹箭或鉄鏃或骨鏃」
武器に「弩」無し、矢は「鉄鏃(鉄製のやじり)」がお目見え。

これに続く魏志倭人伝には

「所有無与儋耳朱崖同」
「有無する所 儋耳・朱崖(=中国の海南島)と同じ。」

と衝撃な文言が記されているのです。 続く。

| | コメント (0)

2019年9月21日 (土)

会稽 東冶之東 指南魚は? 693

魏志倭人伝で陳寿は
「倭人」が住む国々を中国大陸地域と比定し所在地を
「計其道里 当在会稽 東冶之東」と記載しています。
「その道理を計ると
 会稽郡東冶県(現在の福建省福州市)の東」と。
東冶県の真東は尖閣諸島・沖縄本島等があり、
東南では台湾・与那国島・石垣島等があります。
陳寿は「過去の文献」・「倭国に赴いた帯方郡の役人情報」等から
倭人の国々の位置関係を割り出した筈です。
この時代、「指南魚(羅針盤)」が存在しています。
*指南魚
「元祖コンパスは魚の形」(日本船舶海洋工学会)
(この「指南魚」が「指南」の語源とか。)
しかしながら、舟上は揺れるので正確に方位を計るのは無理。
凪の際、或いは、上陸後でないとだめ。
又、帯方郡の役人さん達が「指南魚」をお持ちだったかも不明。
では、どのよう考えたら良いのかしらん
当然、今日日、スマホで位置情報は自ずと判ります。

福建省福州市 北緯26度04分 東経119度18分
沖縄県那覇市 北緯26度13分 東経127度41分
(会稽 東冶之東は沖縄に ほぼ真東でしょう。)
因みに、「都」の位置関係は下記のように。
河南省洛陽市 北緯34度39分 東経112度26分(晋の都)
大阪府 堺市  北緯34度33分 東経135度29分(仁徳帝)
奈良県桜井市 北緯34度31分 東経135度51分(箸墓古墳)
奈良県橿原市 北緯34度30分 東経135度48分(神武帝?)
(緯度の1分=1,852m=1海里 何と各都は緯度16.7㎞の差異内に。)

けれでも、かの時代、GPSなんぞなく、分かる訳がありません。
かの時代、地続きならいざ知らず、
海を隔てては正確な地理関係を把握できなかったのが実情では?
陳寿は倭人の国々を
色んな情報を駆使、その道理を考え
現在の「沖縄本島」地域にあると明らかにしたのです。
因みに、「倭国の時代」(岡田英弘著 朝日文庫)で
倭人の国々を「会稽 東冶之東」にしたのは
「孫権の呉国」の背後に「邪馬壹国」を置く政治的配慮があったと
展開されています。
しかし、「三国志 魏志倭人伝」執筆時には既に「呉国」は「西(晋)」に
滅ぼされています。(280年)
「陳寿 呉滅亡で三国志執筆」 こちらでご確認下さい。
従って、「呉国」を牽制する位置にわざわざ「邪馬壹国」を
持ってこなくてもよかったのではと考えます。 続く。

| | コメント (0)

2019年9月14日 (土)

史記・漢書の倭国状況 692

「史記」 巻四十一 越王勾践世家
「越王勾践 其先禹之苗裔 而夏后帝少康之庶子也 封於会稽
 以奉守禹之祀 文身断髪 披草莱而邑焉」
*夏后少康・・夏朝第6代帝とされている方
*会稽・・現在の浙江省紹興市 長江下流地域で長江下流の南一体

越王、勾践のご先祖さんは「禹之苗裔」「夏后帝少康之庶子」と。
「禹」の末裔で、夏王朝6代帝、「少康」の側妻のお子さん。
その方が会稽地区の所領を任され、この地の風俗である体に入れ墨を
施し、髪はショートカットにし、開墾に励み、この地で「禹」を祭祀した。
「禹」のお墓は「会稽山大禹陵」として現存しています。
(但し、夏后帝少康之庶子さんが「禹」を祀った場所かは不明)

「(前)漢書」 巻二十八 地理志粤地
「其君禹後 帝少康之庶子云 封於会稽 文身断髪 以避蛟龍之害 略
 武帝元封元年略以為儋耳朱崖郡 民皆服布如単被 穿中央為貫頭
 男子耕農種禾稲紵麻 女子桑蚕織績 亡馬与虎 民有五畜 山多麈嗷
 兵則矛盾刀木弓弩 竹矢或骨為鏃」
B.C.110(元封元年) 武帝が儋耳・朱崖郡を設置
*儋耳・朱崖郡・・現在の「海南島」。
B.C.046(初元三年) 郡は廃止され海南島は放置される。
途中から読み下すと
「民皆布を服し単被の如く 中央を穿ち頭を貫く
 男子は禾稲・紵麻を「種(植)」え耕農し 女子は桑蚕織績す
 馬と虎亡く 民は五畜あり 山に塵嗷多し
 兵は則ち矛・盾・木弓・弩 竹矢或いは骨をして鏃と為す」
ってな感じに。
*五畜・・鶏・羊・牛・狗・豚
*鏃(やじり)
 続く。

| | コメント (0)

2019年9月 7日 (土)

倭国状況は史記・漢書の援用 691

魏志倭人伝に記述されている「倭国」の状態を見てみます。

「男子無大小皆黥面文身 自古以来 其使詣中国 皆自称大夫
 夏后少康之子封於会稽 断髪文身以避蛟龍之害
 今倭水人好沈没捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾
 諸国文身各異 或左或右 或大或小 尊卑有差 計其道里 当在会稽
 東冶之東 其風俗不淫 男子皆露紒 以木綿招頭 其衣橫幅
 但結束相連 略無縫 婦人被髮屈紒 作衣如単被 穿其中央
 貫頭衣之 種禾稲紵麻 蠶桑 緝績出細紵縑綿
 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛楯木弓 木弓短下長上
 竹箭或鉄鏃或骨鏃 所有無与儋耳朱崖同」

陳寿が記したこの箇所なのですが

「史記」 巻四十一 越王勾践世家
「越王勾践 其先禹之苗裔 而夏后帝少康之庶子也 封於会稽
 以奉守禹之祀 文身断髪 披草莱而邑焉」

「(前)漢書」 巻二十八 地理志粤地
「其君禹後 帝少康之庶子云 封於会稽 文身断髪 以避蛟龍之害 略
 武帝元封元年略以為儋耳朱崖郡 民皆服布如単被 穿中央為貫頭
 男子耕農種禾稲紵麻 女子桑蚕織績 亡馬与虎 民有五畜
 山多麈嗷 兵則矛盾刀木弓弩 竹矢或骨為鏃」

こちらを参考にし、援用しています。

「史記」にある「禹」・「夏后」につきましては
「華僑・華商ネットの魁け夏(華)人」
「龍と王権威(力)との融合」   でご確認下さい。

*勾践(こうせん)<⇒嘗胆>
中国、春秋時代の越の王(在位 B.C.496~B.C.465)。
呉王闔閭(こうりょ)を敗死させたが、
その子、夫差(ふさ)<⇒臥薪>と会稽山に戦って敗れ、
のち名臣范蠡(はんれい)と謀って、呉を滅ぼす。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の出典先。
*臥薪嘗胆
(中国の春秋時代、越との戦争で敗死した呉王闔閭の子の夫差は、
父の仇を忘れないために薪の中に臥して身を苦しめ、ついに越王
の勾践を降伏させた。
一方勾践はゆるされると、苦い胆を室にかけてそれをなめては
敗戦の恨みを思い出して、ついに夫差を破ってその恨みを晴らし
たという「十八史略‐春秋戦国・呉」にみえる故事から)
仇を報いたり、目的を成し遂げたりするために、
艱難辛苦をすること。(日本国語大辞典 小学館) 続く。

| | コメント (0)

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »