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2019年7月27日 (土)

倭女王卑弥呼さん情報 688

韓半島・倭国を結ぶ「華(夏)僑・華(夏)商ネットワーク」から
この発祥先が中国最初の「夏王朝」に及んでしまいました。
彼らの末裔(夏民族のみではありません)が倭国と交易をし、
富を肥やしていたのはいつの時点からは全く不明ですが
「倭国女王=卑弥呼」さんの時代、
「中国大陸」 ⇔ 「韓半島」 ⇔ 「倭国」の華(夏)商ネットワークは
完備されていたのです。
故に、帯方郡が魏朝に取り戻された情報が確認され、彼女は
238年6月に「難升米」等を帯方郡へ派遣したのです。
従って、「公孫康」が設置した204年以降、帯方郡へ派遣、
否、189年遼東太守、「公孫度」支配、楽浪郡との接点があったと
考える方が自然です。
それでは、陳寿の魏志倭人伝に戻ります。
彼が記した倭女王卑弥呼等の情報は

1 鬼道を駆使、民を驚かせ、惑(わく)ワクさせる魅惑的な女性
2 お歳をかなり召した熟々女
3 彼女は未婚(おつき合いしている男性情報なし)
4 弟がいて、彼が国政を補佐
5 女王になってから権威付けの為?極力誰とも会わず・接せず
6 侍女千人
7 男性お一人
 彼のみ卑弥呼のお部屋へ入れ、お食事届け・伝言申し次ぎを。
この「男子一人」は「弟」とされていませんので彼女の「いい人」?
又、荘厳な「宮室」・「楼観」・「城柵」がつくられており、
常に人々が往来、「兵(=武器)」を持ちいて彼女を警護していたと。

非常に事細かく記述されています。
この陳寿への情報提供者は一体どちら様?
これも華(夏)商の方々とも考えられますが微細過ぎますので
帯方郡から倭国に派遣されたお役人さん等と考えます。 続く。

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