とある骨片から商(殷)発見 687
この「夏王朝システム=中夏(華)」からスタートし、
「商(殷)」⇒「周」⇒(春秋戦国) ⇒「秦」
⇒「前漢」⇒「新」⇒「後漢」⇒「魏・呉・蜀」⇒「晋」⇒・・・
と今現在まで連綿と「中夏(華)王朝」が続いているのです。
「⇒」は時の経過と共に必ず生じる「システム疲労」を因とする
王朝交代。
例えば、「商(殷)」⇒「周」は商(殷)のラストエンペラー、
「紂王(ちゅうおう)」の「酒池肉林」が
一つの原因とされています。
*酒池肉林
「以酒為池 懸肉為林 使男女裸(倮)相逐其間 為長夜之飲」
(史記 殷本紀 第三 帝辛)
漢字は「表意文字」故、状況・景色は目に浮かぶと思われます。
そして、この「漢字」の原点は甲骨文字。
この甲骨文字にはひょんなドラマが。
清王朝末期の1899年、とある北京の漢方薬局で「漢方薬」として販売
されていた「骨片(龍骨)」を買い求めた方が
それに絵文字らしきものをたまたま発見。
その骨片の出所を追求すると、
現在の河南省安陽市小屯村のお百姓さんが供給元と判明。
(小屯村は黄河の北側)
中華民国時代の1928年、この村の発掘調査がスタート。
大日本帝国との諍い(1937~)により、調査中断。
中華人民共和国時代の1950年より調査再開。
これらの発掘調査によりこの地区を「商(殷)王朝遺跡」と認定。
2006年「殷墟」として世界遺産登録される。
この骨片のお陰で「商(殷)王朝」の存在が明らかに。
商(殷)王朝はB.C.1600頃~B.C.1046とされています。
この殷墟はB.C.1300頃~と推定されていますので殷墟が最初の首都
ではない事になります。
又、この殷墟で「婦好(ふこう)」のお墓も発見されたのです。
彼女は数多いらっしゃるお后のお一人で、
なな何と、
身重にも関わらず、
敵対部族との戦闘に兵を率い参陣されたお方との事。
さすが「北狄」狩猟騎馬民族の女性は凄いの一言!
それにしても、
未だ、中国大陸には悠久過ぎる文化遺産が眠っているのです。 続く。
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