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2019年6月 1日 (土)

華僑・華商ネットの魁け夏(華)人 680

かの時代、未だ中央集権されていない倭人の国々は「情報機関」など
持つことさえ考えも及ばなかった筈?
然らば、
公孫淵の滅亡を察知した某情報機関は一体どちら様か云うと
自ずと韓半島・倭国を結ぶ「華僑・華商ネットワーク」になるのでは。
*華僑
(「華」は、中国人、「僑」は仮住居の意) 中国人の海外居留民。
特に東南アジアに多く住み、世界経済に対して強い影響力を持つ。
*華商
他国に住む、中国の商人。
華僑(かきょう)と同義に用いられたこともあった。
(日本国語大辞典 小学館)
上記の辞典の説明は近現代の華僑・華商と思われますが、
「華僑・華商」の概念は今から4,000年前から存在している感なのです。
後に又、触れますが、
「三国志魏書 魏三十(倭人伝)-2」の2行目
「自古以来 其使詣中国 皆自称大夫 夏后少康之子封於会稽」
倭人の風俗説明の箇所に出現するフレーズ。
古代より、中華の「華(か)」はこの「夏后」の「夏(か)」と同義。
*夏(=夏后<かこう>)
中国最古の伝説的な王朝と云われていたが昨今実在が確認される。
*夏后少康・・夏朝第6代帝とされている方
「夏(華)僑・夏(華)商」ですが
「倭国」 岡田英弘著 中央公論新社 1977年初版 P9 に
「夏人は華中の長江(揚子江)、淮(わい)河の流域の、『夷(い)』と
 呼ばれた東南アジア系の原住民の出身で、南方から舟に乗って河川
 を遡ってきて、秦嶺(しんれい)山脈にぶつかったところで舟を下り
 て、そこに商業都市を建設し、北方の狩猟民や遊牧民と交易をした。
 それが、発展して、黄河の南岸の洛陽(らくよう)盆地に首都を置き、
 支配下の諸都市と水路で連絡する国家にまで成長したもののようで
 ある。」
*秦嶺山脈
中国、陝西省の太白山から、河南省の伏牛山脈まで、渭水と漢水
の間を東西に走る山地の名。広義には甘粛省南部の岷山から、安
徽省中部の大別山脈までをさし、淮河(わいが)とともに華北・華中
の境界となっている。最高峰は太白山(3767m)。
(日本国語大辞典 小学館)
*交易・・互いに物々交換をする取引、商(あきな)い。
岡田さんは裏が取れないので文末を推量にしておられます。
(1977年出版時点では夏王朝城郭遺跡は未発見なのです。)
しかし、2004年
中国政府は「二里頭遺跡」を「夏王朝遺跡」と正式認定。
(河南省洛陽市偃師市翟鎮二里頭村)
推定年代B.C.2000頃~B.C.1600頃の「夏王朝」が存在したのです。
 続く。

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