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2019年6月 8日 (土)

夷(夏=華)人 商業都市=商都を 681

「夏王朝」の存在が明らかになった事で
先週紹介した岡田さんの論述
「夏人は華中の長江、淮河の流域の、『夷』と呼ばれた東南アジア系の
 原住民の出身で、南方から舟に乗って河川を遡ってきて、秦嶺山脈
 にぶつかったところで舟を下りて、そこに商業都市を建設し、北方の
 狩猟民や遊牧民と交易をした。」
ここの「夏人」と「狩猟民・遊牧民(異民族)」との
「交易(=物々交換商い)」が明確になったのです。
華中の長江、淮河の流域で暮らし財をなした夏人(夷)が
更に一旗揚げ、財を増やそうと考え、河川を遡った方が
「夏(華)僑・夏(華)商」の一番最初。
農業生産だけの営み生活では財は決して膨らみません。
但し、彼らの最初の「商材」は「お米」の筈。
河川を遡る途中、各所の地域農民の作物、麦・粟・黍・豆等々とも交換
したと思われます。これにて多様な「商材群」に。
「経世済民(=経済)」の始まりはまさしく「交易」から。
これ以外、決してあり得ません。
世界を股にかけて交易する「商人」。
今現在でも一方の「物」が「貨幣」になっているだけで
「グローバル交易」は貫徹されています。
「ユダヤ商人」・「華僑」・「印僑」等の方々が
世界ネットワークを満遍なく牛耳っておられます。
岡田さんのおっしゃる東アジアの東南地域で暮らして
いた「夷(夏=華)人」が河川を利用し、
やがて黄河南岸に拠点を置き黄河北方で生活を営んでいた
「(北)狄人」と商売をし
(北狄人の取引商品は貂(てん)等の毛皮、薬草、天然塩、家畜、
 羊等から絞った乳製品等々)
この交易により裕福な方はバランスの良い食事とおしゃれが可能に。
「財」をなし、市場、及び、商人達の住居を固定、
治安維持の為、それらの周りを堅固な壁(城郭)で固める空間を設営、
この空間が
「商業都市=國⇒国 くに」となっていったのではないでしょうか。
その各商業都市同志がネットワークされ「邦(=大国 くに)」へと。

「新漢和辞典」 (諸橋轍次ら・大修館書店)では
「國」形声文字
 囗は意符 四方の城壁や境界の封(もりつち)を表す
 惑は音符 人の集まり住んでいる土地
  戈は守備を表す
  口は人を表す
  一は土地を表す
と説明されています。 正に「商業都市=商都」そのものでは。
 続く。

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