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2019年5月18日 (土)

卑弥呼238/6帯方郡へ使者派遣 678

疑問は多々あれど、後でまとめて触れる事にします。
倭人・倭国の特徴なども後回し。
「三国志魏書 魏三十(倭人伝)-3 」
こちらの記述に固有名詞、及び、年月が明記されていますので
「卑弥呼」らが登場するこちらを先に。
卑弥呼が邪馬壹国の女王に擁立される以前は男王が存在。
この男王は「後漢書 東夷列伝」に記載されている
「安帝永初元年(107年) 倭国王帥升等献生口百六十人 願請見」
の倭国王帥升と思われます。
「後漢書」は「三国志」よりも後に記述されています。
陳寿は当然、後漢の出来事を書物で確認している筈。
「三国志」は魏王朝の正統性を著述した「断代史」ですので
後漢時代を記せなかっただけなのです。
(本当は晋(司馬<司馬懿⇒司馬炎>)王朝の正統性なのですよ。)
倭の国々も未だ個々乱立状況で70~80年ほど戦いに明け暮れた感。
但し、この「国」は決して「国民国家(=Nation-state)」の国ではなく、
「お国へ帰る(=里帰り)」イメージの国なのです。
お堅く云えば「部族国家」。
そのような国々が長期間に渡る「攻伐(こうばつ)」を終了させようと
どちら様かのアイデアなのでしょう、
「邪馬壹国」で「鬼道(神)」に事(つか)えて
民を驚かせ、惑(わく)ワクさせる魅惑的な女性を
リーダーに担ぎ出したのです。
そのお方が「狗奴国以外を束ねた倭国女王=卑弥呼」さん。
彼女は
238年6月に「難升米」等を帯方郡へ派遣、魏皇帝への「朝献」を要請。
*朝献
お土産持参、朝会に参列、皇帝に拝謁、皇帝から返礼土産を頂く
一連の儀式。朝献側は存在認証、皇帝側は朝廷内・民衆への示威。
分かり易くはよしみ(友好)を結ぶ式典(セレモニー=ceremony)。
 続く。

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