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2019年4月 6日 (土)

張華と陳寿(壽)の歩み 673

陳寿(壽)は晋で「佐(副)著作郎」としてデビューするのですが、
彼の才能を評価した張華も若くして「佐著作郎」になっています。
晋書張華伝に就任時期が記載されていませんので
時系列で迫ってみます。
249年 司馬懿(179~251)のクーデターで魏朝の実権を握る 華18歳
251年 司馬師(208~255)(司馬懿の長男)が受け継ぐ 華20歳
255年 司馬昭(211~265)(司馬懿の次男)が受け継ぐ 華24歳
   この間、張華は「佐著作郎」 ⇒ 「長史」 ⇒ 「中書郎」へ
          張華の「中書郎」職務は抜群の出来映え
265年 司馬炎(236~290)(司馬昭の長男)が晋皇帝に 華34歳
          張華は「黄門侍郎」を拝命、「関内侯」に封じられる
*長史・・留守番政務代行職
*中書郎・・奏聞を天子に奏し、勅書を臣下へ渡す職
*関内侯・・臣下の最上位爵位「列侯」に次ぐ爵位
*黄門侍郎・・皇帝副相談役
268年 陳寿(壽)、晋の「佐著作郎」に 華37歳 寿36歳
270年 譙周死去 華39歳 寿38歳
274年 「蜀相諸葛亮集」を編纂し奏上 華43歳 寿42歳
         (「泰始十年<274年>二月一日癸巳 平陽侯相臣陳寿上」
          三国志 蜀書五 諸葛亮伝)
         これにより、著作郎に任じられ
        「本郡(巴西郡)の中正(官吏有資格者選定人)も兼任」
278年 呉征討の為、鎮南将軍として襄陽(現在の湖北省襄陽市)に
         赴く杜預が司馬炎に陳寿(壽)を黄門侍郎、或いは、散騎常侍に
         推薦。これが功を奏し「御史治書(法務担当職)」に
         華47歳 寿46歳
         張華が陳寿(壽)を「中書郎」の兼任を推挙するも没に
279年 張華は度支尚書に 華48歳 寿47歳
280年 呉消滅 多大に寄与した張華は広武県侯に 華43歳 寿42歳
         これにより張華は名声を博し儀礼・憲章作成等は張華の手に
         又、「台輔」をも望める状況に
*杜預(222~284)・・呉滅亡に貢献 張華と呉征討計画同意見
*散騎常侍・・副「黄門町家侍郎」
*中書郎・・詔勅の記録、伝達職次官
*度支尚書・・財政収支を掌る職
*広武県侯・・爵位アップ?10,000戸増邑+絹一万匹 子供も「亭侯」に
*亭侯・・爵位(1,500戸)
*台輔・・三公の位で天子を輔佐、官僚を統率する職
*三公・・官僚の最高職 司馬(相談役)・司徒(相談役)・司空(副総理)
 続く。

「三国志の著者 陳寿(壽)」で紹介した「佐藤利行」氏が
張華伝の通釈をして下さっています。お目通し下さいませ。
(国立国会図書館 電子図書館蔵書
六朝文人伝「張華」 ― 『晋書』張華伝―

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